kuppykuppy’s diary

中国語で書かれた羽生結弦選手関連の文章を色々と翻訳しています。速報性皆無のマイペース素人翻訳ですが、よろしければお読み頂ければ嬉しいです。 Twitter:@kuppykuppy2020

百度に掲載されたコラム「第二の羽生結弦は現れるか?」

羽生さんお誕生日に投稿された、いつもの方(抻面鸡架yuzuさん)の文章を翻訳させていただきました。熱い思いがこもっています。

羽生さんはみんなの光だという部分、特に共感しました。

 

今年も沢山の光をいただいた一年だったな。感謝です😭

 

还会出现第二个羽生结弦么?

タイトルの通りです。

 

2022年は正に「お別れ」の年です。今年に入ってからショーンホワイト、セリーナ、フェデラー、そして何といっても羽生結弦といったGOATたちが次々と競技場を去って行きました。2022年は「伝説が幕を下ろす」というフレーズの登場頻度が、これまでになく高くなっています。

 

「伝説が幕を下ろす」と、多くの人が「後継者」を探し始めます。次の○○○○になるのは誰か?それとも新しい「レジェンド」になるのは誰か?しかしその種の人々は根本的な問題——伝説の伝説たる所以は稀少なこととコピーできないことだということを忘れがちです。

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そこでそもそもの質問に立ち返ってみましょう。第二の羽生結弦が現れる可能性は?

 

私は即答できます。あり得ない。

 

先人はいないし後を追う者もいない。それが羽生結弦なのです。


長きに渡り保ち続けた競技成績

 

GOATになるためにまず必要とされるのは、安定して持続するキャリアです。一時的に咲いてすぐに散ってしまう花ではなく、すっと横切る流れ星でもなく、打ち上げられる衛星でもなく、常に輝き続ける恒星のように、持続的で安定したキャリアにおいて、超越した状態を保ち続ける必要があるのです。一言で言えば成績がものを言います。

 

羽生結弦の20年余りの競技生活(そうです。彼にとって選手生活というのは適切な言葉ではありません。彼の選手生活の第2幕が新しく開いたばかりなのですから。)の中で残した実績。この図は一見すると長過ぎるかも知れませんが、彼が収めた成績を的確に視覚的に表現しています。シーズンの大会全制覇、オリンピックを含む世界大会の制覇、スーパースラム達成、オリンピック2連覇、37枚の金メダル…これが羽生が書き記した歴史です。そしてこれらを全て達成してプロの選手に転向した時、羽生結弦はまだわずか27歳でした。

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フィギュアスケート繁栄の時代」を作った人

 

羽生結弦は一人で「フィギュアスケート繁栄の時代」を作ったと言っても過言ではありません。

 

確かに彼の前にも、そして彼の同期、後輩などからも、フィギュアスケートの各カテゴリーで沢山の巨星が生まれ続けています。「フィギュアスケートの王者」「フィギュアスケートの女王」「伝説のペア」「夢のカップル」「○○の第一人者」「天才少年」「天才少女」等等、これらの人々はみんな、努力によってフィギュアスケートというマイナー競技を多くの人に知らしめ、親しませてきました。

 

しかしこの種目を現在のような「衝撃的」な影響力があるものにしたのは間違いなく羽生結弦です。

 

もしも彼というきっかけがなかったら、あなたはカナダの小さな町ケロウナを知っていたでしょうか?

2019年の終わり頃に2019年フィギュアスケートチャレンジャーシリーズ大会の開催地となったカナダの小都市ケロウナの観光レポートによると、大会期間の3日間でブリティッシュコロンビア州には530万カナダドルの経済効果が生じ、そのうち450万カナダドルはケロウナで直接「消費」されたものだったと。2度のオリンピックを連覇した日本の羽生結弦結弦選手の出場が、3,500人以上の旅行客を引き寄せたのです。そのうち45%は初めてケロウナを訪れた人だったそうです。そしてこの大会だけでカナダスケート協会の収益は50万カナダドル増加したとのことです。

 

羽生結弦が出場するかどうかは、その大会の人気、興行収入、更にはテレビの視聴率、出版物の部数を決める重要な基準となっていました。2020年3月、日本のメディアが「羽生砂漠期の再現」の様子を報道しました。日本のフジテレビに長年にわたりフィギュアスケートの試合を放送し続けてきた伝統があったが故に起こった事態です。2020年のモントリオール世界選手権の延期が開会わずか4日前に発表(後日中止が決定)され、フジテレビが4日間連続で世界選手権を放送しようとしていたゴールデンタイムの枠が突然空いてしまったのです。コロナ禍で多くの人が自宅で自粛生活をしていて本来なら視聴率が急上昇するはずの時間帯です。突然世界選手権が無くなったことで4日間の空いた枠を埋めねばならなくなり、テレビ局の内部は混乱したと言います。それがいわゆる「羽生砂漠期の再現」です。似たような状況があったのは2016年でした。その年、羽生結弦がインフルエンザのため全日本選手権を欠場したことで、視聴率は落ち込みました。後日、ある番組の中で司会者がこぼしていました。あの時フジテレビの人たちの顔は青ざめていたと。

 

2022年7月に羽生結弦がプロ選手に転向したことで、同じような状況が新シーズンでも起こっています。2022-2023シーズンのグランプリシリーズの複数の会場の観客席の空席や、関連報道の少なさ、注目度の低さが、これまで3回のオリンピックを挟んでフィギュアスケートが世界規模で大きく発展し、人気を博したいわゆる「フィギュアスケート繁栄の時代」となっていた理由は一体何だったのかを物語っています。

 

創始者であり、創造者でもあり

 

限界を越えて、フィギュアスケートを越えて。

 

今は既に競技場に別れを告げ、プロ選手になったとは言え、羽生結弦の限界がどこにあるのかを誰もまだ知りません。競技生活の中で彼は絶えずチャレンジ精神を持ち続け、フィギュアスケートを進化させて来ました。

 

あなたは彼の限界はフィギュアスケートを「真・4回転時代」に導いたことだと思いましたか?しかし彼はすぐに「300点越え」を新たな指標とし、世界一になった後は66年振りに冬季オリンピックを連覇しました。これが羽生結弦が自ら書き記した歴史です。

 

自らこんなにも鮮やかな歴史を書き記し、既にフィギュアスケートの新時代を切り拓いた羽生結弦ですが、その後も彼はいっさい手を抜くことなく、新シーズンで新しいジャンプ——4Aへの挑戦を続けました。その時多くの人がレジェンドをレジェンドたらしめるものは何なのかを知りました。成功して名を挙げ、功績の上で胡座をかいていられる筈の時に、彼らは更に新しい挑戦を始めてまた新しい伝説を作るのです。

 

羽生結弦北京オリンピックでの挑戦は、多くの人に悲壮感と、血の涙を流すような苦しみを感じさせたかも知れません。苦難を賛美するつもりはありませんが、北京オリンピックでの苦悩は確実に羽生結弦の精神性を鍛え、彼の未来と彼のフィギュアスケートへの思いを更に深いものにさせたと私は思います。


北京オリンピックを終えて、心残りはあったものの幸せを手にした羽生結弦は、2022年に自らの新しいフィギュアスケート人生の扉を開きました。

 

そして私たちは目の当たりにしました。

 

想像を越えた羽生結弦を。

 

プロフィギュアスケート選手の羽生結弦は27歳の年の後半に、想像を越えた形でこれまでになかったワンマンでのアイスショー「プロローグ」を創り上げました。そして世界中が未だかつてない全く新しいフィギュアスケートのパフォーマンスの形に驚愕している時、皆さんご存知のように心を込めて創られた「GIFT」というプレゼントがまた届いたのです。 

 

私たちが最初「プロローグ」がどんなものなのか想像できなかったように、「GIFT」がどんなものになるのかは更に想像ができません。想像はつかないけれども、間違いなく素晴らしい、全く新しい「羽生結弦流のフィギュスケート」が誕生しようとしています。(以下、インタビューの中国語訳が引用されていますが、多分有料記事に載っていたものだと思うので割愛)

 

光を見る、光になる

 

スポーツにおいて成果を残すのは挑戦者。記録を残すのは優勝者。語り継がれるプログラムや見事な瞬間を残すのはスター選手。これら全てを残すのはGOAT。

 

そして、それらを超えて光となる者、それはレジェンドです。

 

羽生結弦は数え切れない人々の「光」になりました。

 

演技だけではありません。彼の言葉、彼の振る舞い、そして彼の存在そのものが沢山の人の希望の光であり、生きるための光です。私にはこの「光」が何なのかを説明するのが難しいのですが、きっと辛い時にしばし休息できる場所であったり、前に進もうと思えない時にあなたの背中をちょっと押してくれる力であったり、悩み苦しんで暗澹たる思いの時に笑顔を取り戻させてくれる瞬間なのだと思います。

 

そして私たちは知っています。その光がどんなに明るくて、どんなに長く灯り続けているかを。


これを読み終えて、あなたはまだ第二の羽生結弦が出てくる可能性があると思いますか?

 

もちろん思いませんよね。

 

伝説をコピーすることはできないだけでなく、彼はまだ進化し続けてていて「天井板」がどこにあるのかまだ見えないのですから。

 

ということで28歳になったレジェンド、お誕生日おめでとうございます。