kuppykuppy’s diary

中国語で書かれた羽生結弦選手関連の文章を色々と翻訳しています。速報性皆無のマイペース素人翻訳ですが、よろしければお読み頂ければ嬉しいです。 Twitter:@kuppykuppy2020

百度に掲載されたコラム「羽生結弦は結婚したというのに、どうしてまだ彼を愛するのかって?」

いまだ自身の感情と闘っている方もいらっしゃると思います。私もその一人でして、元気になったり再びちょっと落ち込んだりの毎日です。

 

時々翻訳させていただいている、いつも素敵なコラムを書いてくださる中国のファンの方の文章を日本語訳させていただきました。

 

このような気持ちになれる方もなれない方も今はいらっしゃると思います。私もまだ腑に落ちたとかスッキリしたとまでは言えない状態ですが、この応援のスタンスと熱量って素敵だなと思ったのでご紹介します。

 

羽生結弦は結婚したというのに、どうしてまだ彼を愛するのかって?」

はい、今日はこの質問にお答えしましょう。シンプルに乱暴に。あらかじめ言っておきます。以下の文章は、私のこれまでのスタイルとは全く違うものになると思います。ご安心ください。あなたはアカウントを間違えたわけではありません。私は私です。ただ今日はいつもより直接的に思いを示したいと思うのです。

 

羽生結弦はアスリートだ。過去も現在も。

現在の「名声」や「評判」そしていわゆる「影響力」も全て彼が一試合一試合を闘って自分の力で作り上げたものであり、彼が24年間のスケート人生の中で茨の道を踏み越え、満身創痍になって作り上たものです。

 

彼はアスリートです。

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「芸能人とか、別にアイドルでも何でもないし、アスリートとしてかっこいいなと、アスリートとしていろんな希望とか夢を見せてもらえるなと思ってもらえる存在として、これからも努力していきたいと今は思っています」

羽生結弦フィギュアスケートというスポーツの領域で残した業績と確立した地位、彼がこの種目の発展のためにもたらした力、それは前人未到のものです。この後もそのような人物が現れないかどうかは今はわかりませんが、少なくとも次の冬季オリンピックまでに2人目が現れることはなさそうです。

 

私は羽生結弦が24年間のスケート人生の中で残した業績を詳しく数えようとは思いません。そんなことをすればこの文章の中でスペースを取りすぎてしまいますから。

 

私が言いたいのは、羽生結弦のこれまでの全ての業績は他の人には関係がないということです。彼はいつもファンがくれる応援と力に感謝し、それをとても大切にしています。例えば平昌オリンピックのフリー最後の3Lz。軸が完全に曲がってしまった状態にも関わらず踏みとどまれた「奇跡」の瞬間について、「皆さんの力が自分を支えてくれた!」と言いました。でも私たちは本当は知っています。あの時踏みとどまれたのは、彼が20年以上にわたり昼夜を分かたず続けてきた苦しい練習のおかげであり、彼の鋼のような強い意志のおかげであり、彼の才能のおかげであり、彼の黄金の膝と、彼が「ここで切れてしまっても構わないから跳ばねば」と思った奇跡の踝のおかげであることを。

 

そして彼はアスリートです。過去もそうでしたし、今もそうです。プロの選手に転向したとは言え、彼が自分に課す社会的役割や見せる姿は依然として自制され律せられた、自分への要求が極めて厳しいアスリートです。

 

彼の容姿は美しいですが、彼はアイドルではないし、アイドルになろうともしません。プロの選手になってからも羽生結弦は芸能界には足を踏み入れないことを明確にしています。自分は今後、映画やドラマの仕事は受けるつもりがないと。

 

羽生結弦フィギュアスケート界の最高水準であり続ける

羽生結弦がプロの選手となりフィギュアスケート競技を去って一年が経ちますが、私のこの思いは変わりません。総合的な技術レベルにおいても、フィギュアスケートの革新という面においても、羽生結弦は最高水準であり続けています。

 

注意してほしいのは、私がここで言っているのはフィギュアスケートの「総合的なレベル」であることです。それは音楽との調和、スケーティング、スピン、全体的なジャンプのレベル、全ての技の完成度、技のディテールや表現力、これら全てを一つにした「プログラム」の技術レベルです。私が見たところ、羽生結弦を超える選手はまだいません。現役時代に既に神の域に達していたスピンや、ジャンプに入る前の動作、ステップなどの細かい技術は、プロの選手になってから指先、髪の先まで更に念入りに磨かれ、「過去の」プログラムも再び現れたときにはどれも細部が変化しています。

 

そしてプロの選手になってからも彼のスケートは依然としてサプライズをくれています!そうです、まさにサプライズ!

 

クラシカルで優美なフィギュアスケートのプログラム。それは羽生結弦にとって「居心地のいい空間」です。しかし彼がプロに転向して採点やルールの縛りから解き放たれてからは、私たちはフィギュアスケートの領域だけではなく他の領域での模索と突破も見せてもらっています。


彼はより新しく、より様々なジャンルのダンスを学び、ダンスとスケートの深い融合を探求しています。そして照明技術とスケートの融合も。プロローグやGIFT、これらはいわばフィギュアスケートの大々的な実験でした。更に彼はフィギュアスケートと体操という種目を超えた融合にも挑戦しました。彼はこれまで蓄えてきた自分の技術と芸術を常に高め続けています。アイスショーの1つのプログラムに7本のジャンプを入れたり、アイスショーの狭いリンクで薄暗い照明の下で連続4回転ジャンプを跳んだり…。「不可能」なことも羽生結弦になら全て可能なのです。

 

もちろん、羽生結弦の試みが全ての人の美的感覚やフィギュアスケート鑑賞の概念に合うわけではないのでしょうが、数十年一日の如く同じようなスタイル、同じようなタイプ、更には同じような振り付けのプログラムを滑る選手たちに比べて、彼の転向後の演技とその姿は毎回私たちにサプライズをくれています!また、転向後は視界と心がいっそう開かれたこと、更には自分が思うような振り付けを十分取り入れられるようになったことで、羽生結弦のスケートには新たな境地と質的な飛躍が見られるようになりました。

 

しかも、これらの挑戦には今のところ限界が見えません。

 

羽生結弦はほぼ完璧に近い人だが生身の人間である。

私は彼が完璧だとは言いません。本当に完璧な人間などいないからです。しかし羽生結弦は私が知る中で最も完璧に近い人間の一人です。

 

多くの人が羽生結弦に「落ちた」時に言うのがこのフレーズです。「容姿に惹かれ、才能に落ち、人柄に着いてゆく。」前のニ項目は若干偏っているかも知れません。彼のスケートをもっと先に評価する人が沢山いますから。しかし最後の「人柄に着いてゆく。」これは間違いないでしょう。

 

純粋で、こだわりが強く、優しくて、暖かくて、謙虚で、前向き。

才気に溢れながらも控えめで穏やか。

 

幼い頃はやんちゃな天才少年で、柔らかい体と天賦の才能を武器に早くから頭角を現し、誰よりも得意気だった彼ですが、少年時代に故郷で人生を変えてしまうような大地震を経験しました。生まれ持った善良さに大震災がもたらした悲しみが加わり、純粋な少年に神性が生まれました。リンクでの究極の華やかさはまるで鋭利な刃物を鞘から抜くよう。リンクを下りた時は控えめで謙虚で、優しく柔らかく。故郷、慈善、公益、平等、優しさ…。幾つかのキーワードで羽生結弦を表現するとすれば、きっとこれらが中心になるでしょう。一番重要なのはこれらは全て、作られたものではなく特別な時だけに見られるものでもなく、彼の骨身に染みついたものだということです。

 

彼はテレビでいつも何台ものカメラに撮られ、日本のゴシップ雑誌にカナダの練習拠点まで追いかけられるような人です。日本のテレビ局が20年余りに渡り撮り溜めた羽生結弦の映像はおそらく部屋を埋め尽くすほどの量になっていると思われます。数えきれないハイビジョンカメラにいつも注目され、ほんの小さなことも大きく拡大して見られる状態で、実直さと誠実さを装うことなど不可能でしょう。

 

しかし羽生結弦の「神性」は決して人間性から切り離されてはいません。リンクが彼の「祭壇」だと言うならば、リンクを下りた彼はこの上なくリアルです。弱さと強さが共存し、繊細さと強さの裏に弱さと孤独があります。無邪気な甘い笑顔の裏には失意とやるせなさがあります。手の届かない天上の人のように見えますが、幼い頃からリンクで闘い続け、沢山の瑣末で小さな幸せを失って来た彼が一番憧れているのは、実は家族と座って談笑し、テレビを見るありふれた生活です。

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「ある意味で逃げ場がなかったこと。本当にたくさんの期待があって…僕もその期待に絶対応えたいんだっていう気持ちがあって、裏切りたくないなっていう気持があって、だからこそここまで頑張れたかなって思っています。」

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「先ほどの質問の、いつプロに転向しようかとか考えたかという話だと、……結果として、最終的な決断に至ったのは、北京オリンピックが終わってからです。北京オリンピックが終わって、帰ってきて、しばらくして。足首を治すための期間として、治すための期間というか、痛くて滑れなかったので。その期間の中でいろいろ考えた時に、もう別にここのステージにいつまでもいる必要はないかなという風に思って。よりうまくなりたいって、より強くなりたいと思って、決断しました。
実際に、最後に、先日アイスショーがあったんですけど、その時に滑らせていただいた時が、自分がアマチュアスケーターとして滑らせていただくのは、大会的に最後だったんですけども、その時にもまた改めて、より高いステージに立ちたいな、より一層、努力したことがちゃんと皆さんに伝わるステージにいきたいなという風に思いました」

 

いい演技ができた後は缶コーラを飲み、ケーキを食べるだけでも「幸せだ」と感じる普通の人間なのです。

 

ファンを大切にする気持ちはずっと変わらない

もっと大事なのは羽生結弦はこんなにも若くして、自分の努力によって、他の人が一生追いつけないような名誉と名声を既に手にしながらも、それに押し流されたりしないことです。彼には「寝ていても暮らせる」ような資本がいくらでもあります。他の人の「功績簿」がゴザだとしたら彼の「功績簿」は高級ベッドです。一生横たわり、蓄えで暮らしていくことができます。その上、彼にはお金を稼ぐ元手も無限にあります。自身の顔、スタイル、名声、更にはファンの愛を活かして、簡単に大金を稼げる「領域を越えたアイドル」になることも可能です。巨額の富を手にすることはいくらでもできるのです。でも彼はそんなことはしませんでした。

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アイスショーって華やかな舞台であったりとか、エンターテインメントみたいなイメージがあるんですけど、もっともっと僕はアスリートらしくいたいなと。もっともっと難しいことにチャレンジしたりとか、挑戦し続ける姿とか、戦い続ける姿だったりとか、そういったことをもっと皆さんに見ていただきたいなと、期待していただきたいなと思って、今回、このことばたちを選びました。」「そういう意味で、これからさらにうまくなっていけるんだなという自分への期待とわくわく感がいまある状態です。」

現役時代ファンを非常に大切にしていた羽生結弦、プロの選手になってからもアスリートとしての芯とファンを大切にする気持ちは変わっていません。

 

人の手を借りず、自分で撮影して編集して作り上げるYouTube動画は少し地味で、華やかな特殊効果や場面の切り替えもありません。でもその素朴さが彼の真心を十分に示しています。そしてプロになってからのアイスショーでは破格のスペック、破格の制作費で真心を燃やします。たとえ1分間の演技でも彼は決して適当に演じたりせず、最初から最後まで真剣に取り組みます。

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「これからも皆さんがもし必要としてくれるのであれば、常に全力を尽くしてやっていきたいと思いますし。また心が別に離れたとしても、何か、ふと目に入ったときにやっぱり羽生結弦のスケートって良いなって、ほんのちょっと1秒でもいいんで。思ってもらえるような演技をこれからも頑張って続けていきたいと思います。」

自分の立ち位置は「アスリート」だと常に明確にしている羽生結弦は、いつも誠実にスケートや自分の生活に向き合い、彼を愛し、応援する一人一人にスケートで恩返しをしています。過去もそうでしたし、今もそうですし、これからもきっと。

 

まとめると、つまりこれが私が羽生結弦と彼のスケートを愛する理由です。これらと彼が結婚しているかしていないか、何か関係があるでしょうか?