kuppykuppy’s diary

中国語で書かれた羽生結弦選手関連の文章を色々と翻訳しています。速報性皆無のマイペース素人翻訳ですが、よろしければお読み頂ければ嬉しいです。 Twitter:@kuppykuppy2020

百度に掲載されたRE_PRAYの感想コラム 「夢を創る人 羽生結弦は偉大なアーティスト」

私が現地で見られたのは埼玉の1公演だけですが、RE_PRAYが大好きで何度も何度も録画を見ています。

いつも素敵なコラムを書いてくださる抻面鸡架yuzuさんのRE_PRAY埼玉公演の感想を日本語訳させていただきました。


(最初に言っておきます。今日のこのコラムではそれぞれのプログラムの内容や意義の分析はしていません。ただ私自身が2日間に渡りRE_PRAYを見た後の個人的な感想を述べているだけです。)

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 とても不思議なことに、羽生結弦と彼のスケートは、見れば見るほど、理解すればするほど、どのように書けば良いのかわからなくなってしまいます。

 

それはあまりに広大で深遠なる宇宙。あなたが少し切り拓いた、少し理解した、少し推測したと思うたびに、彼の次の登場、次の作品、次のシーズンで、彼を「理解」したという勝手な思い込みは全て打ち破られてしまうのです。

 

プロに転向して一年が経ち、これまであった縛りは既に彼の手によって砕かれ、フィギアスケート選手でありアーティストであるという羽生結弦の立場が確立されました。あなたは彼がゲームの枠組みを用いて人生を語り、世界観を説明できることに感慨を覚えつつ、次の機会に彼はきっと想像を更に超えた芸術の世界を作り上げ、皆をひれ伏させることになるであろうと期待しているでしょう。

 

これまで私たちは羽生結弦のことをずっと「フィギュアスケート選手」と呼んできました。しかし今、私は彼を偉大なるアーティスト羽生結弦と呼ぶべきだと思っています。

 

アーティスト羽生結弦

 

水晶玉をガラスが覆うかのように、白く薄いカーテンが四方にゆっくりと降りて来て、白いマントを身に着けた夢か幻のような小さな人を覆います。想像していた「ゲームをテーマにした」電子音によるオープニングではありません。羽毛が薄いとばりに映し出され、落ち、『いつか終わる夢』のメロディーが流れてきました。氷の上に生命の樹が根を張り、芽を出して、羽生結弦の『RE_PRAY』が始まります。


オープニングの時点で、既にこのアイスショーの芸術性が確立されたかのようでした。この世を超越した冷たさと俗世のロマン。スケートに根差しながらも芸術の花を開かせたパフォーマンスでした。

 

実は『RE_PRAY』のメインビジュアルが発表された時から、このような感覚は既にありました。

 

従来のような氷上のシーンではなく、従来のようななコスチュームでもなく、「スケート」に関係する要素はスケート靴だけ。はい。あなたが想像を始める前に、羽生結弦は既にあなたの想像の域を超えていたのです。

 

リンクサイドに初めて設けられた小さなステージ。小さなステージでのコンテンポラリーダンスの要素を取り入れた息を呑むようなパフォーマンス。可動式の照明、大型スクリーンに映し出される映像と氷上での演技とプロジェクションマッピングとの融合。このショーの演出のために一から作られたゲーム映像。VCRはつなぎではなく、完全な「Ice story」を紡いでいました。現代的で先鋭的なゲームミュージックを多用して構築された前半の幻想的でありつつもサイバーパンクな世界。しかし後半では優美で静謐なプログラムが夢のような幻のような仙郷を造り出し…

 

羽生結弦の『RE_PRAY』は単なるショーではありませんでした。彼が作り上げたのは正に芸術作品。私は彼が全く新しい芸術のジャンルを切り拓いたのだとさえ思っています。

 

競技者時代に「正確な技術に基づいた芸術的なスケート」を追求してきた彼が、プロ転向後に「アーティスト」としての理想に向かって邁進したいという明確な思いを持つようになるまで、たった一年余りでした。「競技者時代の羽生結弦」と「プロ転向後の羽生結弦」を比べる人たちは未だにいますが、この方は既にそんなことを超越し、更に高い芸術の領域に向かってどんどん進んでいるのです。

 

破局させる人 羽生結弦

 

そこで思い浮かぶのはこの言葉——破局させる人。

 

壊すのは自らの局面。プロ転向後の道は以前にも増して苦しいものです。

 

現役時代は得点と勝利が全てを評価する直感的な基準でした。努力して目指すものは勝利。羽生結弦が自ら「試合に出るからには“勝つことが全て”」と述べていた通りです。しかし得点という基準がなく、勝ち負けを競う相手もいない状況ではどのように評価され、どのように期待に応えるのでしょうか?そう考えると、プロ転向は決して気軽に余裕を持ってできるような選択ではないはずです。

 

他の人であれば「引退」後はコーチや振付をする傍らで時々アイスショーに出たり、芸能活動をしたり…これが一般的であり、間違いなく一番簡単で合理的な選択です。そして羽生結弦のファンですらかつて思い描いていた最も普通の「未来」でした。

 

でも私たちは忘れてしまっていました。羽生結弦は「当てられるものなら当ててみて。当てられたら自分の負け。」な人だったことを!プロに転向した最初の年、『プロローグ』がすぐに開幕しました。それは自身の競技人生を振り返り整理するようなアイスショーでした。そして東京ドームでの『GIFT』はいつでも受け取れる豪華なプレゼントとなり、『Nottestellate』は全く新しい形式のアイスショー羽生結弦のこの凄まじい勢いのプロ転向第1年目が「頂点」だったと考える人もいたところに『RE_PRAY』ツアーがやって来たのです!


彼も不安に思ったことはあったでしょう。誰も経験したことのない世界です。現役の頃、周りのほとんどの人が反対するのを押し切って高難度のジャンプや高難度の構成に挑んできたのと同じように、「頑固で負けず嫌い」な羽生結弦はプロ転向後も道を切り拓いています。

 

どうすれば「満席」にできるのか?満席にできたなら、どんな演技をすれば期待に応えられるのか?不安と恐れは人類の本能です。しかし恐怖に打ち勝ち、何度もリセットボタンを押し、人生を再スタートさせる人こそが真の勇者です。

 

再スタートし、再び祈る。人生というゲームの中では一つ一つの選択は全て再スタートを意味し、再スタートをするたびに違った結末が待っているでしょう。もう全てが終わったと思いますか?いいえ、何もかも始まったばかりです。羽生結弦がそっと教えてくれます。覚えていますか?『プロローグ』で時計が突然逆回りしたこと。「破局」はあの時に始まり、羽生結弦の新しいスケートの宇宙が開かれたのです。

 

彼は自分のスケートの芸術を用いて世界に告げます。「私がこの世界のルールだ。」

 

挑戦者羽生結弦

 

彼は依然として最高レベルで戦える状態を維持しています。このことは羽生結弦がリンクに足を踏み入れた最初の瞬間に、彼の肩、背中、脚の筋肉のラインから感じ取れます。それは来る日も来る日も、プロに転向してからも少しも怠ることなく、むしろ更に厳しいトレーニングを積んできた成果です。

 

アーティストの立場になっても挑戦者として競技に挑む魂は何も変わっていません。

 

『RE_PRAY』の最初の開催地さいたまスーパーアリーナでの2日間の公演は、両日とも9つのプログラムとアンコールの3つのプログラム+カーテンコールという構成でした。2日目はテーマであるゲームの設定の中で違った選択がされたため、『Hope & Legacy』が『阿修羅ちゃん』に置き換わりました。

 

3つの真新しいプログラムは3種類の全く新しい形を見せてくれました。

 

『鶏と蛇と豚』は照明や舞台芸術から衣装まで全てが異世界のような美学を呈していました。設置された小さなステージ、モダンダンスの要素、多用される細やかな手の動きや表情までもが融合し、人間が「貪・瞋・痴」に抗い、超越するというプログラムのテーマが見事に表現されています。

 

『Megalovania』は何とスピンのみで構成されたプログラムでした。スケート靴を究極まで駆使して、エッジと氷が「伴奏のない共演」をする全く新しい形。エッジが氷を削る音を自分の伴奏にした人が今までに他にいたでしょうか?いいえ、羽生結弦だけです。

 

前半のフィナーレを飾った『破滅への使者』は完全な「6練」から始まり、4分05秒に渡る長さの公式競技の規定時間+公式競技の構成のプログラムでした。11月5日の2日目の公演の『破滅への使者』は4S 3A2T 3Lo 4T 4T3S-1Eu-3S(訳注:正確には4S 3A2T 3Lo 4T 4Teu3Seu3S 3Aですかね?)という、驚きのジャンプ構成で、しかも完璧にcleanに演じられました。


これらの一つ一つのプログラムはそれぞれが長文で論じる価値があるものですので、ここではこれにとどめます。私が言いたいのは、これまでの「シーズン」という概念で区切るとするならば、この真新しく、ライバルは彼自身のみの「新シーズン」に、羽生結弦が打ち出したのは理念から表現の形式に至るまでが全く新しい3つの無敵の作品だったということです。

 

幾度となく「死」んで、幾度となく「再スタート」した後も、彼の挑戦者という立場は全く変わっていません。


夢を創る人羽生結弦

 

これは「夢」で始まり「夢」で終わったショーでした。そして夢を創ったのは羽生結弦でした。

 

アーティストであり人類の夢を創る使者。雑然とした世界の中で、魔法をかけ、結界を封印し、夢の星の光で満たし、希望の明かりを灯す。羽生結弦アイスショーが作り出すのは俗世とは完全に切り離された異次元の空間です。

 

魂を注いで滑る一つ一つのプログラムは魂の共鳴を起こします。


ここでは希望の樹が成長して究極の夢となり、山や海、星たちはアジアンドリームの歌を歌い上げ、ランタンが鎮魂のために灯り、夏の風は川の神が家路に向かう手助けをし、春の雨の後には桜の花が段々と綻んで夢の世界を香りで満たし…季節は静かに移ろい、時空が切り替わります。

 

そして彼は沢山の「遺恨」を晴らします。

 

さいたまスーパーアリーナでかつて永遠に忘れられない遺恨を残した『Origin』はこのたび『破滅への使者』の赤い服を纏ったラスボスに化身しました。プログラムの中に源源(訳注:Origin様の愛称)がいるはずなどないのに、誰の目にも至る所に源源の姿が見えました。


プロ転向後のショーにまだ正式に姿を現していない、北京オリンピックシーズンの無数の期待と夢が詰まった『天と地と』は、エンドロールのVTRに『いつか終わる夢』の姿で静かに現れました。

 

言うまでもなく彼は知っていたでしょう。沢山の人が当時『あの夏へ』を見られなかったこと、『春よ、来い』を見られなかったこと、『ロンド・カプリチオーソ』を見られなかったこと…だからこそ、この大集合でみんなの夢を叶えてくれたのでしょう。

 

願わくば幕が下りライトが灯された時に長い夢から醒めませんように。

 

どうか祈りが星に届きますように。

 

自由な羽生結弦

 

【自由】。自由とは何か?ショー全体を通して自由についての考察と解析がなされ、最終的には私たちに自由とは何かを理解させてくれました。

 

羽生結弦は魂の自由を手に入れたのです。

 

「自由ってなんだろうと考える機会があって、ルールがあってそこから解放された瞬間がたぶん自由なんだろうなって思っているんです。プロに転向するって決めたときからはすごく自由だったと思うんですけど、今はルールというものがなくなってしまったからこそ、自由というものをあまり感じられなくはなっています。ただ、自由は感じられないんだけど、手をつける方向がものすごく色々広がっていったので、目指す選手像とかアーティスト像みたいなものは、ものすごく大きく、より具体的に強くなったと思います。」これは羽生結弦がプロ転向後に雑誌ELLE(訳注:正しくはAERAですね。)のインタビューで述べた、自由についての考察です。長きに渡り競技の「ルール」の中で生きてきて、著名人として「期待される」という枠組みの中にいた羽生結弦が背負ってきたものは、普通の人には永遠に理解できないような重圧でした。『GIFT』で彼は勇敢に心の内を打ち明けて、迷い、苦しみ、不安や束縛に向き合いました。そして今は勇敢にそれらの「枠組み」と重圧を打ち破り、更に自由な表現を追求しているところです。

 

この【自由】を手に入れたという思いは彼の演技に表れています。

 

オープングは『いつか終わる夢』、後半のオープニングも『いつか終わる夢』でした。「RE」ピアノバージョンの。


これは『プロローグ』とは全く違う『いつか終わる夢』でした。初めて見た『いつか終わる夢』が抑圧感と苦しみを帯びたものだとするならば、『RE_PRAY』での2つのバージョンの『いつか終わる夢』は苦しみを手放し、新たな人生に向かう軽やかな夢。まるで光を追いかけ波を越える時に、過去の様々な思いを風がそっと撫でるかのようでした。手放すことを受け入れた後に氷の上に映し出された巨人にはもう重苦しさはなく、その身体からは星の光が放たれ、数えきれない愛と願いを集めています。

 

それはいつか終わる夢ではなく、決して終わらない夢でした。

 

その感覚は『春よ、来い』の演技にいっそう色濃く現れていました。羽生結弦の近年のショーの中では一番多く演じられているこのエキシビションナンバーで私たちは様々なバージョンの「桜ちゃん」を見てきました。2019年の世界選手権で思いを込めて氷に口付けをした桜ちゃんや、2022年の北京オリンピックで必死に目の前の幸せを掴み取ろうとした桜ちゃん。その桜ちゃんたちは、笑みを浮かべ、涙をたたえ、まるで春を暖めるために自らの全ての力を使い果たす美しい桜のように、暖かい決意を抱いていました。

 

しかし、この『RE_PRAY』の桜ちゃんは心からの笑顔で自由に舞っていました。まるで春風の中で鮮やかに咲き誇るかのように。明るい日差しの下に植え替えられた故郷仙台の結弦桜のように、紆余曲折を経て、もう必死に何かを掴み取る必要も何かを犠牲にする必要もなくなり、ようやく思うままに花を咲かせ、その美しさと暖かさを自由に発揮することができるようになったのです。

 

曲が終わり小さなステージに立った桜ちゃん。彼の背でピンク色の光がホログラムを描き、蝶の身体に新しい羽が生えました。

 

これが魂の自由を手に入れた羽生結弦です。繰り返す祈り。再スタートさせる人生。