kuppykuppy’s diary

中国語で書かれた羽生結弦選手関連の文章を色々と翻訳しています。速報性皆無のマイペース素人翻訳ですが、よろしければお読み頂ければ嬉しいです。 Twitter:@kuppykuppy2020

百度に掲載されたコラム「“世界で一番孤独な人”に伴侶ができた!結婚によって羽生結弦のスケートは変わるのか?」

当時の衝撃の中で、開くことすらできなかった抻面鸡架さんのコラム、やっと訳せました。

 

とは言っても現実を突きつけられるかなりストレートな文章、今読んでも私にはかなり辛いところがありました。

 

と同時に、この方の応援の熱量とスタンスは本当に素晴しいなあと。

いつもいつも何かあるごとに暖かく熱い応援の気持ちを綴っておられる筆者さん、これまでの思い入れもひとしおだったはず。

8月5日にすぐさまこの文章をアップされているところを見ても、一貫して本当にまっすぐな熱い思いで応援をされているのだなと感じます。

 

それぞれの人にそれぞれの感情があって、それには正しいも誤りもないとは思っています。

でも私も身勝手な思いを全て捨て去って、こんなまっすぐな思いで“正しい”応援をして行きたいなと心から思ったコラムでした。

 

読んで辛くなってしまう方もいらっしゃるかも知れませんので、ご無理のない範囲でご覧ください。

 

「“世界で一番孤独な人”に伴侶ができた!結婚によって羽生結弦のスケートは変わるのか?」

これまでスケートのためにとてもとても沢山の「自分の幸せ」を犠牲にしてきた羽生結弦が、とうとう自分のスケート以外の普通の人としての幸せを見つけたことを公式に表明しました。「結婚宣言」の発表は衝撃的でしたが、それ以上に沢山の祝福が寄せられました。ファンも一般の人も喜び、安堵したのです。

 

何と言っても、羽生結弦は28年の人生のうちの24年間をほぼ全てスケートのために生きてきたと言えましょう。スケートのために奮闘し、孤独に突き進んできたフィギュアスケート人生の旅。でこぼこ道を奔走し、挫折の中で涅槃の境地に達し、憂いを身に纏い、一面に散らばる苦痛の中にいた(訳注:ガルシアマルケス百年の孤独」の一節のようです。)羽生結弦にとって、普通の暖かい小さな家庭を持つことはとても価値があるものです。幸せや苦しみを共有し、分かち合える人が必要なのです。

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そうですね…孤独ですよ本当に。言ってみれば、自分の精神状態であったり、肉体であったり、そういうものにすごく左右してくるんですけどでもそれを遮断しないと自分が思ってるパフォーマンスができないんですよね。

 

もちろん、結婚自体もそうですし、このような形で結婚を宣言することは、羽生結弦にとって相当勇気のいることだった筈です。

 

多くの祝福以外に、やはり雑音もあります。また、羽生結弦のようなもの凄い人気を誇るスーパースター選手の28歳という年齢での「結婚」と突然の「結婚宣言」にはやはり「リスク」が伴います。

 

羽生結弦はもう少し結婚を後にできなかったのか、もしくはいっそ公表せずに結婚すればよかったのではないか?「まだ30歳にもなっていないのに、どうしてこんなに早く結婚を?」このような声は少なくありません。

 

もちろんそうすることもできたでしょう。でもそれは羽生結弦ではありません。普通の暖かく、何ということはない家庭生活。これは幼い頃から各地を転々として練習し、試合に出て、いつも外で闘ってきた羽生結弦がずっと望んできたものでした。

 

自分の小さな家庭を築くことは前から羽生結弦の人生設計の中にあったことです。みなさんよくご存知のように、羽生結弦は「牛兄さん(訳注:中国での羽生さんのニックネーム)の立てたフラグは絶対に倒れない」と言われてきました。それはオリンピックに2度出場すること、2個の金メダルを獲ること。そして家庭や結婚に対する願望もあって、彼は25、6歳で結婚したいと言っていました。羽生結弦には結婚への思いがずっとあったのです。

 

その後この「25、6歳で結婚するフラグ」は羽生結弦の唯一「倒れてしまったフラグ」だと言われていました。でも振り返ってみるとこのフラグが「倒れた」のは、夢中で突き進み、世界情勢が移り変わる中で4Aへの挑戦を続けるうちに、羽生結弦がもともとスケート人生の中で予定していたわけではなかった北京オリンピックを迎えることになったからです。

 

そして北京オリンピックが終わり、羽生結弦は自らの競技人生を終了させても良いと判断し、2022年7月にプロの選手としての人生をスタートさせました。その時から彼は計画に従って一歩一歩と自分の人生の次のステップへと進み始めていたのではないでしょうか。

 

でも、羽生結弦のその恋愛がいつから始まったのか結婚相手は誰なのかなどを詮索する必要はありません。

 

これまで重大な選択をしてきた時と同じく、羽生結弦は自分の今後の人生に、一番ダイレクトな方法で、一番勇気ある方法で向き合ってゆきます。

 

最適だと思うタイミングで、最も良いと思う方法で、自分の求める新しい生活を切り開いてゆくのです。

 

そう、彼は最も率直で大々的な方法で、まだ入籍手続きが正式に完了していない段階(受付中か審査中の状態)(訳注:これに関しての事実は不明だと思いますがそのまま訳しています。)で自ら結婚の報告をすることを選びました。時間は彼が最も大切にし、非常にこだわりを持っている11:11。ここにはお相手に対する敬意、そしてずっと応援してくれているファンへの敬意がこもっています。

 

しかし彼はそれと同時に最も控えめな方法で、できる限りお相手のプライバシーを守りました。この宣言の中で彼は「入籍」の二文字以外にはお相手の情報に一切触れていません。思うに、彼は自分の影響力をよく理解していて、ひとたび少し情報を出してしまえば自分の妻が好意的な目とそうでない目で全方位から注視され、要求されることをわかっているのしょう。できる限り控えめにしておかないと、お相手と自分のこれからの生活をしっかり守ることができないのです。

 

これらのことは「衝撃的」ではありましたが、非常に「羽生結弦」らしくもありました。これまで競技においても、スケート人生を追求するにあたっても、私生活の中でも、羽生結弦はずっと、「わがまま、頑固、負けず嫌い」の信念を貫いてきました。

 

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「スケーターとしては、まだこの“わがままな状態”でいきたいなって思います。自分の信念は、変えたくはないので。

スケートによって人間性って磨かれていくと思うんですよ。

それこそ“努力で”あったり、“勝ち負け”もいっぱいあるし、“悔しさ”もいっぱいあるし、“幸せ”もいっぱいある。

しっかりと“大人になったよ”って、胸張れるような人間になりたい。」

 

わがまま、頑固、負けず嫌い。これは「やりたい放題」とか「人の意見を聞き入れない」とかいうことではなく、力強く毅然とした思いに基づいて自分の信念を貫くという行動原則です。 

 

羽生結弦のこれまでの人生の選択を理解しているならば、彼の結婚宣言が決して「一時の衝動」ではないことがわかるでしょう。

 

私はいつも言っていますが、「可愛く優しい」面は、羽生結弦の外面の一つに過ぎません。目を細めてクマと戯れる「男の子」の外面の下の「こだわり、強さ、強靭さ」を持つ戦士。これこそが羽生結弦の本当の芯です。

 

もしも「頑固」さが足りなければ、どうして外野の声を払いのけて4Lo、4Lz、4Aに挑戦し、一つ一つと世界記録を打ち破り、フィギュアスケート全体の難度や構成を全く新しい境地にまで高めることができたでしょうか?

 

もしも「勇敢」さが足りなければ、どうして血に染まったリンクで、あるいは「足首がここでだめになる」危険を犯して、「跳ぶ」と叫べたでしょうか!

 

もしも「粘り強さ」が足りなければ、どうして既に功績を残して名を成し、ただ華やかさと賞賛を味わっていれば良い立場になったにも関わらず、更に4年間滑り続け、北京に来て壮大な「天と地と」を披露することができたでしょうか?

 

……

 

20歳の頃、彼は言いました。スケートによって人間性を磨き、正々堂々と胸を張れるような人間になりたい。

 

28歳の今、彼は正々堂々とした態度とやり方で、 胸を張り、側にいる自分の愛する人を守り、全く新しい生活に向かおうとしています。

 

ほら。まさに信念を貫く羽生結弦です。

 

結婚によって羽生結弦のスケートにはどんな変化があるでしょうか?羽生結弦とファンとの関係にどんな変化があるでしょうか?私は思います。まさに羽生結弦の結婚宣言に書かれている通り(そう、彼が入籍の二文字以外に書いていたのはひたすらスケート、スケートでした。)変わることはないばかりか、更に良くなるでしょう。

 

スケートについて言うと、更に美しく、更に素晴らしく、更に進化した羽生結弦のスケートが見られると私は確信しています。新しい生活で真に成熟した状態の中、彼は人生、物語、芸術、音楽への理解と思考を更に深めることができるでしょう。そして私たちは知っています。それらの思考は全て情感、情緒、技術のディテールとなり、羽生結弦のスケートに現れるでしょう。

 

実際、最近のもので言うと今年の夏のFaOIのプログラム「IF」で感じられた成熟した、内面から放たれる「ハイクラスな色気」。今振り返ればレベルアップした命の本質が既に現れていたのだと思います。

 

ファンについて言えば、羽生結弦の「応援してくれるファンのために滑りたい。」という気持ちは、今後も何ら変わらないでしょう。そして自分のスケートに、それを必要とする人の光となり希望となってほしいという真摯で誠実な気持ちも何も変わらないはずです。誠実さは過去も現在も羽生結弦が最も大切にしている芯であり、スケートを愛し、彼のスケートを愛する人たちを愛する気持ち、これらは全て彼の私生活と何ら相反するものではありません。

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これからも皆さんがもし必要としてくれるなら、必要とされるようなスケートを、常に全力を尽くしてやっていきたいと思いますし。また心が別に離れたとしても、ふと目に入った時に、やっぱり羽生結弦のスケートっていいなって、ほんのちょっと、1秒でもいいんで思ってもらえるような演技を、これからも頑張って続けていきたいと思います。

 

私は2019年のGPFの後に自分が言ったことを覚えています。「羽生結弦は偉大なる英雄。他の人に心を痛めてもらうことなど必要としていない。」でも実はそう言いつつも、私も他のファンと同じく、心の底から彼に「心を痛め」ていました。(訳注:2019GPFが終わった直後、微博では「羽生結弦に心を痛める」のタグで呟き始める人が急増。トレンド入りして話題になりました。)あの時私は、彼は世界一孤独な人だと思いました。もちろんこれを言ったのは私ではなく、彼に何度もインタビューをしてきた松岡修造さんです。私たちの思いは松岡修造さんと同じでした。彼はあの寂しく広々としたリンクで孤独な挑戦を続け、一人で闘ってきました。彼には世界中に何千人何万人のファンがいて、数千体ものプーさんが投げ込まれますが、試合の後にはしっかりと抱きしめてもらうことを必要としているように見えました。はい。もちろんかつてはコーチたちがハグをする職務を引き受けていました。でも結局のところコーチは家族ではありません。その時私は彼は「孤独な勇者」なのだと思いました。確かに孤独や怪我や病気、苦難は人間を鍛え、汗と涙は芸術を創り出します。でも、笑顔で暮らしたいと思わない人がいるでしょうか?一人で辛さも苦しみも全て背負わねばならない人などいるでしょうか?

 

スケートはこれからも羽生結弦にとって命と同じくらい大切な存在であり続ける筈です。でも、彼がその大切な存在を守るために寄り添ってくれる人がいます。深夜の仙台のリンクに孤独に一人で滑る音だけが響くことはもうなくなるでしょう。これは何と幸せなことでしょうか。

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大抵の人間が、いろんな人に囲まれて生きてるかもしれないんですけど、本当に一人ぼっちだって思う人だって絶対世の中にはいて、僕もその一人だし、「羽生結弦からスケート取ったらどうなる」みたいなことを、すごく考える人間でもあるし。なんかそういう中で…本当に独りぼっちって思っている人でも、「いや、ちゃんと味方いるよ」って..