百度に掲載されたRE_PRAYの感想コラム 「夢を創る人 羽生結弦は偉大なアーティスト」
私が現地で見られたのは埼玉の1公演だけですが、RE_PRAYが大好きで何度も何度も録画を見ています。
いつも素敵なコラムを書いてくださる抻面鸡架yuzuさんのRE_PRAY埼玉公演の感想を日本語訳させていただきました。
(最初に言っておきます。今日のこのコラムではそれぞれのプログラムの内容や意義の分析はしていません。ただ私自身が2日間に渡りRE_PRAYを見た後の個人的な感想を述べているだけです。)

とても不思議なことに、羽生結弦と彼のスケートは、見れば見るほど、理解すればするほど、どのように書けば良いのかわからなくなってしまいます。
それはあまりに広大で深遠なる宇宙。あなたが少し切り拓いた、少し理解した、少し推測したと思うたびに、彼の次の登場、次の作品、次のシーズンで、彼を「理解」したという勝手な思い込みは全て打ち破られてしまうのです。
プロに転向して一年が経ち、これまであった縛りは既に彼の手によって砕かれ、フィギアスケート選手でありアーティストであるという羽生結弦の立場が確立されました。あなたは彼がゲームの枠組みを用いて人生を語り、世界観を説明できることに感慨を覚えつつ、次の機会に彼はきっと想像を更に超えた芸術の世界を作り上げ、皆をひれ伏させることになるであろうと期待しているでしょう。
これまで私たちは羽生結弦のことをずっと「フィギュアスケート選手」と呼んできました。しかし今、私は彼を偉大なるアーティスト羽生結弦と呼ぶべきだと思っています。
アーティスト羽生結弦
水晶玉をガラスが覆うかのように、白く薄いカーテンが四方にゆっくりと降りて来て、白いマントを身に着けた夢か幻のような小さな人を覆います。想像していた「ゲームをテーマにした」電子音によるオープニングではありません。羽毛が薄いとばりに映し出され、落ち、『いつか終わる夢』のメロディーが流れてきました。氷の上に生命の樹が根を張り、芽を出して、羽生結弦の『RE_PRAY』が始まります。
オープニングの時点で、既にこのアイスショーの芸術性が確立されたかのようでした。この世を超越した冷たさと俗世のロマン。スケートに根差しながらも芸術の花を開かせたパフォーマンスでした。
実は『RE_PRAY』のメインビジュアルが発表された時から、このような感覚は既にありました。
従来のような氷上のシーンではなく、従来のようななコスチュームでもなく、「スケート」に関係する要素はスケート靴だけ。はい。あなたが想像を始める前に、羽生結弦は既にあなたの想像の域を超えていたのです。
リンクサイドに初めて設けられた小さなステージ。小さなステージでのコンテンポラリーダンスの要素を取り入れた息を呑むようなパフォーマンス。可動式の照明、大型スクリーンに映し出される映像と氷上での演技とプロジェクションマッピングとの融合。このショーの演出のために一から作られたゲーム映像。VCRはつなぎではなく、完全な「Ice story」を紡いでいました。現代的で先鋭的なゲームミュージックを多用して構築された前半の幻想的でありつつもサイバーパンクな世界。しかし後半では優美で静謐なプログラムが夢のような幻のような仙郷を造り出し…
羽生結弦の『RE_PRAY』は単なるショーではありませんでした。彼が作り上げたのは正に芸術作品。私は彼が全く新しい芸術のジャンルを切り拓いたのだとさえ思っています。
競技者時代に「正確な技術に基づいた芸術的なスケート」を追求してきた彼が、プロ転向後に「アーティスト」としての理想に向かって邁進したいという明確な思いを持つようになるまで、たった一年余りでした。「競技者時代の羽生結弦」と「プロ転向後の羽生結弦」を比べる人たちは未だにいますが、この方は既にそんなことを超越し、更に高い芸術の領域に向かってどんどん進んでいるのです。
破局させる人 羽生結弦
そこで思い浮かぶのはこの言葉——破局させる人。
壊すのは自らの局面。プロ転向後の道は以前にも増して苦しいものです。
現役時代は得点と勝利が全てを評価する直感的な基準でした。努力して目指すものは勝利。羽生結弦が自ら「試合に出るからには“勝つことが全て”」と述べていた通りです。しかし得点という基準がなく、勝ち負けを競う相手もいない状況ではどのように評価され、どのように期待に応えるのでしょうか?そう考えると、プロ転向は決して気軽に余裕を持ってできるような選択ではないはずです。
他の人であれば「引退」後はコーチや振付をする傍らで時々アイスショーに出たり、芸能活動をしたり…これが一般的であり、間違いなく一番簡単で合理的な選択です。そして羽生結弦のファンですらかつて思い描いていた最も普通の「未来」でした。
でも私たちは忘れてしまっていました。羽生結弦は「当てられるものなら当ててみて。当てられたら自分の負け。」な人だったことを!プロに転向した最初の年、『プロローグ』がすぐに開幕しました。それは自身の競技人生を振り返り整理するようなアイスショーでした。そして東京ドームでの『GIFT』はいつでも受け取れる豪華なプレゼントとなり、『Nottestellate』は全く新しい形式のアイスショー… 羽生結弦のこの凄まじい勢いのプロ転向第1年目が「頂点」だったと考える人もいたところに『RE_PRAY』ツアーがやって来たのです!
彼も不安に思ったことはあったでしょう。誰も経験したことのない世界です。現役の頃、周りのほとんどの人が反対するのを押し切って高難度のジャンプや高難度の構成に挑んできたのと同じように、「頑固で負けず嫌い」な羽生結弦はプロ転向後も道を切り拓いています。
どうすれば「満席」にできるのか?満席にできたなら、どんな演技をすれば期待に応えられるのか?不安と恐れは人類の本能です。しかし恐怖に打ち勝ち、何度もリセットボタンを押し、人生を再スタートさせる人こそが真の勇者です。
再スタートし、再び祈る。人生というゲームの中では一つ一つの選択は全て再スタートを意味し、再スタートをするたびに違った結末が待っているでしょう。もう全てが終わったと思いますか?いいえ、何もかも始まったばかりです。羽生結弦がそっと教えてくれます。覚えていますか?『プロローグ』で時計が突然逆回りしたこと。「破局」はあの時に始まり、羽生結弦の新しいスケートの宇宙が開かれたのです。
彼は自分のスケートの芸術を用いて世界に告げます。「私がこの世界のルールだ。」
挑戦者羽生結弦
彼は依然として最高レベルで戦える状態を維持しています。このことは羽生結弦がリンクに足を踏み入れた最初の瞬間に、彼の肩、背中、脚の筋肉のラインから感じ取れます。それは来る日も来る日も、プロに転向してからも少しも怠ることなく、むしろ更に厳しいトレーニングを積んできた成果です。
アーティストの立場になっても挑戦者として競技に挑む魂は何も変わっていません。
『RE_PRAY』の最初の開催地さいたまスーパーアリーナでの2日間の公演は、両日とも9つのプログラムとアンコールの3つのプログラム+カーテンコールという構成でした。2日目はテーマであるゲームの設定の中で違った選択がされたため、『Hope & Legacy』が『阿修羅ちゃん』に置き換わりました。
3つの真新しいプログラムは3種類の全く新しい形を見せてくれました。
『鶏と蛇と豚』は照明や舞台芸術から衣装まで全てが異世界のような美学を呈していました。設置された小さなステージ、モダンダンスの要素、多用される細やかな手の動きや表情までもが融合し、人間が「貪・瞋・痴」に抗い、超越するというプログラムのテーマが見事に表現されています。
『Megalovania』は何とスピンのみで構成されたプログラムでした。スケート靴を究極まで駆使して、エッジと氷が「伴奏のない共演」をする全く新しい形。エッジが氷を削る音を自分の伴奏にした人が今までに他にいたでしょうか?いいえ、羽生結弦だけです。
前半のフィナーレを飾った『破滅への使者』は完全な「6練」から始まり、4分05秒に渡る長さの公式競技の規定時間+公式競技の構成のプログラムでした。11月5日の2日目の公演の『破滅への使者』は4S 3A2T 3Lo 4T 4T3S-1Eu-3S(訳注:正確には4S 3A2T 3Lo 4T 4Teu3Seu3S 3Aですかね?)という、驚きのジャンプ構成で、しかも完璧にcleanに演じられました。
これらの一つ一つのプログラムはそれぞれが長文で論じる価値があるものですので、ここではこれにとどめます。私が言いたいのは、これまでの「シーズン」という概念で区切るとするならば、この真新しく、ライバルは彼自身のみの「新シーズン」に、羽生結弦が打ち出したのは理念から表現の形式に至るまでが全く新しい3つの無敵の作品だったということです。
幾度となく「死」んで、幾度となく「再スタート」した後も、彼の挑戦者という立場は全く変わっていません。
夢を創る人羽生結弦
これは「夢」で始まり「夢」で終わったショーでした。そして夢を創ったのは羽生結弦でした。
アーティストであり人類の夢を創る使者。雑然とした世界の中で、魔法をかけ、結界を封印し、夢の星の光で満たし、希望の明かりを灯す。羽生結弦のアイスショーが作り出すのは俗世とは完全に切り離された異次元の空間です。
魂を注いで滑る一つ一つのプログラムは魂の共鳴を起こします。
ここでは希望の樹が成長して究極の夢となり、山や海、星たちはアジアンドリームの歌を歌い上げ、ランタンが鎮魂のために灯り、夏の風は川の神が家路に向かう手助けをし、春の雨の後には桜の花が段々と綻んで夢の世界を香りで満たし…季節は静かに移ろい、時空が切り替わります。
そして彼は沢山の「遺恨」を晴らします。
さいたまスーパーアリーナでかつて永遠に忘れられない遺恨を残した『Origin』はこのたび『破滅への使者』の赤い服を纏ったラスボスに化身しました。プログラムの中に源源(訳注:Origin様の愛称)がいるはずなどないのに、誰の目にも至る所に源源の姿が見えました。
プロ転向後のショーにまだ正式に姿を現していない、北京オリンピックシーズンの無数の期待と夢が詰まった『天と地と』は、エンドロールのVTRに『いつか終わる夢』の姿で静かに現れました。
言うまでもなく彼は知っていたでしょう。沢山の人が当時『あの夏へ』を見られなかったこと、『春よ、来い』を見られなかったこと、『ロンド・カプリチオーソ』を見られなかったこと…だからこそ、この大集合でみんなの夢を叶えてくれたのでしょう。
願わくば幕が下りライトが灯された時に長い夢から醒めませんように。
どうか祈りが星に届きますように。
自由な羽生結弦
【自由】。自由とは何か?ショー全体を通して自由についての考察と解析がなされ、最終的には私たちに自由とは何かを理解させてくれました。
羽生結弦は魂の自由を手に入れたのです。
「自由ってなんだろうと考える機会があって、ルールがあってそこから解放された瞬間がたぶん自由なんだろうなって思っているんです。プロに転向するって決めたときからはすごく自由だったと思うんですけど、今はルールというものがなくなってしまったからこそ、自由というものをあまり感じられなくはなっています。ただ、自由は感じられないんだけど、手をつける方向がものすごく色々広がっていったので、目指す選手像とかアーティスト像みたいなものは、ものすごく大きく、より具体的に強くなったと思います。」これは羽生結弦がプロ転向後に雑誌ELLE(訳注:正しくはAERAですね。)のインタビューで述べた、自由についての考察です。長きに渡り競技の「ルール」の中で生きてきて、著名人として「期待される」という枠組みの中にいた羽生結弦が背負ってきたものは、普通の人には永遠に理解できないような重圧でした。『GIFT』で彼は勇敢に心の内を打ち明けて、迷い、苦しみ、不安や束縛に向き合いました。そして今は勇敢にそれらの「枠組み」と重圧を打ち破り、更に自由な表現を追求しているところです。
この【自由】を手に入れたという思いは彼の演技に表れています。
オープングは『いつか終わる夢』、後半のオープニングも『いつか終わる夢』でした。「RE」ピアノバージョンの。
これは『プロローグ』とは全く違う『いつか終わる夢』でした。初めて見た『いつか終わる夢』が抑圧感と苦しみを帯びたものだとするならば、『RE_PRAY』での2つのバージョンの『いつか終わる夢』は苦しみを手放し、新たな人生に向かう軽やかな夢。まるで光を追いかけ波を越える時に、過去の様々な思いを風がそっと撫でるかのようでした。手放すことを受け入れた後に氷の上に映し出された巨人にはもう重苦しさはなく、その身体からは星の光が放たれ、数えきれない愛と願いを集めています。
それはいつか終わる夢ではなく、決して終わらない夢でした。
その感覚は『春よ、来い』の演技にいっそう色濃く現れていました。羽生結弦の近年のショーの中では一番多く演じられているこのエキシビションナンバーで私たちは様々なバージョンの「桜ちゃん」を見てきました。2019年の世界選手権で思いを込めて氷に口付けをした桜ちゃんや、2022年の北京オリンピックで必死に目の前の幸せを掴み取ろうとした桜ちゃん。その桜ちゃんたちは、笑みを浮かべ、涙をたたえ、まるで春を暖めるために自らの全ての力を使い果たす美しい桜のように、暖かい決意を抱いていました。
しかし、この『RE_PRAY』の桜ちゃんは心からの笑顔で自由に舞っていました。まるで春風の中で鮮やかに咲き誇るかのように。明るい日差しの下に植え替えられた故郷仙台の結弦桜のように、紆余曲折を経て、もう必死に何かを掴み取る必要も何かを犠牲にする必要もなくなり、ようやく思うままに花を咲かせ、その美しさと暖かさを自由に発揮することができるようになったのです。
曲が終わり小さなステージに立った桜ちゃん。彼の背でピンク色の光がホログラムを描き、蝶の身体に新しい羽が生えました。
これが魂の自由を手に入れた羽生結弦です。繰り返す祈り。再スタートさせる人生。
北京オリンピック公式記録映画について 陸川監督のインタビュー
2023年5月の公開開始直後の記事ですが、当時訳したもの放置していました。日本での公開が決定したことを知ったので、この機会にアップさせていただきます。
陸川(ルー・チュアン)監督のインタビュー記事です。羽生さんに言及した部分は赤字にしています。

5月19日に公開された映画『北京2022』で、人々は思いがけず馴染みのある名前を見つけた。それは陸川だ。陸川は言う。彼はこれを単なる記録映画だとは思っていない。作品の中にあるストーリー、情熱、命の洗礼を見てほしいと。「撮影中、私はまるで充電されるかのように毎日養分を吸収し、全身に行き渡らせました。」
『北京2022』を語る。「この映画は単なる記録映画ではない。」
公式記録映画の制作は、国際オリンピック委員会が開催国に継続を求め続けてきた伝統だ。これまでに公式記録映画の撮影に携わった芸術家や映画監督の中には著名な人物も数多くいる。北京で記録映画制作のバトンは陸川に渡された。
新たな要求と新たな目標。記録映画制作の経験がある陸川でさえ非常に大きなプレッシャーを感じた。陸川は『北京2022』に小さな目標を設定したと言う。それは『北京2022』を過去のオリンピックの記録映画よりももっと感情やストーリーのあるものにすること。「私たちは映画館で上映するのに相応しい作品にしたいと思っていました。力強いストーリーと感情を持った作品にしたいと。」

陸川は2年半前に既に形になった脚本を用意していたと言う。ただし、その脚本は全く役に立たなかった。
「撮影開始初日に脚本は全て没になりました。」この話になった時、陸川はいささかの無力感を滲ませた。彼とそのチームはぬかりなく任務に取り組み、歴代のオリンピック記録映画を研究してきた。そして彼らには長年のキャリアがあったので、課題に対応して乗り越える準備もできていた。しかし撮影現場に足を踏み入れると、アクシデントが絶え間なく訪れたそうだ。「1日たりとも、1人たりとも、1つのストーリーたりとも脚本通りに進んではくれませんでした。」そのため撮影の難易度は非常に高くなったと陸川は包み隠さずに語った。「結局のところ、現実は自分の脚本通りに動いてくれません。自分が現実に合わせて動くしかないのです。」
『ボーンインチャイナ』の撮影で動物を追いかけた経験がある陸川は、自身はもう鍛えられてどんな事態にも動じない粋に達していると思っていた。しかし、オリンピック映画の撮影期間に起こった様々な出来事には落ち着いた対処などできなかった。陸川は語ってくれた。当初の撮影リストに入っていた人の多くに撮影やインタビューをきっぱりと断られたと。断られた時には何かが粉々に壊れる音が聞こえたと陸川は冗談めかして言う。受け入れ難くはあったがアスリートたちが拒否することは理解できた。「彼らが重きを置くのは競技です。ここに来るからには結果が求められます。彼らの本業は私の撮影に協力することではありませんから。」
オリンピック映画撮影の思い出を語る。「この旅は、私に養分をくれました。」
実際『北京2022』の制作は終始苦難に満ちていた。映像素材の量については陸川自身も正確に計算できていない。「ざっと見積もって映像素材は確実に1,000時間分はある筈です。」そして、その編集作業は更に厳しい試練であった。オリンピックが閉会してから98分板を発表するまでに作成したバージョンは全部で38種に上る。
準備から上演に至るまでの過程を思い起こし、自身はとてもラッキーだったと陸川は思っている。プロの映画監督としてのこれまでの経歴の中で陸川は物語の語り手となることには慣れていた。撮影はいつもアウトプットの連続だった。しかし『北京2022』の撮影時、彼は吸収を続け、毎日新鮮なエネルギーに溢れる養分を受け取っていた。「全ての過程において、自分が充電されているようだと感じました。」

数々の輝かしいアスリートたち。陸川にとって彼らの物語と経験は生涯忘れられない記憶となった。この優秀なアスリートたちはいつもガードされた状態にあり、メディアに対峙することに長けていると陸川は言う。したがって、撮影にはある程度の時間が必要になる。アスリートたちが警戒を解くことを待ち、背後に見える真実を捉えるために。「私たちは彼らが本音を曝け出してくれるのを待つのです。メディア向けの業務上の社交辞令は編集の時に基本的に全てカットします。」
インタビューの中で、陸川は特に蘇翊鳴(訳注:北京オリンピック金メダリストであるスノーボード選手)と羽生結弦について言及した。彼は蘇翊鳴には格別の品格を感じると言う。彼は内面にその種目の王者に相応しい強い原動力を持つ一方で、対戦相手には和やかに接する。「これこそ私がとても好きな真の闘いです。闘いにおいて必ず必要なものがあります。リスペクトです。それは文化の発展を具現するものです。」そして羽生結弦は陸川にまた別の角度からスポーツの美を感じさせた。陸川は言う。羽生結弦は自分をガードするのが非常に上手い人物だが、カメラのレンズは時に羽生結弦の感情が大きく動く瞬間を捉える。彼は何度も何度も自らを整え、何度も何度も新しい極限への闘いに挑む。「私は本当に本当に本当に羽生結弦が好きなんです。人類にはこのような人がなくてはなりません。科学がどれだけ進歩しようととも、文明がどれだけ発展しようとも、スポーツはスポーツです。非常に美しいものなのです。」
この映画の最終バージョンが確定してからも、陸川はまだ冬季オリンピックがくれた素晴らしい思い出を捨て去ることができないでいる。夥しい量の映像素材と物語。陸川はチームと共にまた整理と点検をすることになるかも知れない。彼にとってこの貴重な映像素材は宝物だ。「チームのメンバーたちと話しています。残しておこう、いつかこの中から物語を取り出すべき時が来るかもしれないからね、と。」
今後の計画を語る。「2023年、皆さんをあまり長くはお待たせしません。」
公式記録映画が完成した後も陸川は忙しい。引き続き杭州アジア競技大会の開会式の仕事に携わることになっているのだ。陸川は言う。杭州アジア競技大会への準備はほぼ整っている。彼のチームはとても優秀で、皆さんにこれまでにない体験をしてもらえる筈だと。1990年の北京アジア競技大会と2010年の広州アジア競技大会での中国のプレゼンテーション。陸川はそれらの過去の成功を物差しとして自分を前進させるよう常に鼓舞していると語る。「私たちのチームのメンバーはとても若いです。皆さんに違ったものを提供できると期待しています。」

8年の時を経てやっと新しい作品が大スクリーンに登場するとなると、「監督」という立場は陸川と少し距離があるように見える。しかし陸川のスタジオにある、『749局』の現場で撮った陸川と王俊凱の撮影時のツーショットや、『ココシリ』の撮影現場でのショット、黒澤明やコッポラなどの映画ポスターなどを見ると、陸川の変わらぬ映画への愛に気づく。陸川はここ数年も毎年最低1本のペースで映画の脚本を書き続けていると言う。「書き上げた脚本もあれば途中までのものもあります。」数年間作品を世に出せていなかったことは映画人として不本意なことであり、撮影をしていなかったり撮影を進めることができなかったりする時には脚本を書くのが焦る気持ちを落ち着ける唯一の方法だと陸川は言う。「これからは皆さんをあまりお待たせしたくありません。」
実は『北京2022』が完成した後、陸川は既に新作『749局』の仕上げ作業に入っている。これは王俊凱、任敏らの若手俳優と共に作り上げてきた作品で、年末には完成するであろうとのこと。『749局』の若き俳優たちは『北京2022』の現場で彼に洗礼を浴びせたアスリートたちを思い出させる。共に仕事をした感想については詳しく述べないが、陸川は王俊凱や任敏の年代の若手俳優の成長に期待している。「どんな俳優もみんな若手時代から自分の色を持つ俳優に成長してゆきます。彼らと一緒に作品を作るのはとても楽しいことでした。」
あなたと歩んできた一歩一歩、全てに価値がある
CITIZENさんの7月28日の微信(WeChat)の投稿です。
8/4以前の投稿で、しかも内容はコラボ時計に関するものですが、後半はCITIZENさん節全開で、今読んでも心に響く箇所があったので今更ながら日本語訳しました。

「再び皆さんとお会いできたことを嬉しく感じています」
これは晴明と羽生結弦の時空を超えた再会

【みなさんこんにちは】
素晴らしい作品と「生翕」の世界を融合させ 手首に花開かせる喜び

【激しく同意】

【とってもかわいそう】
Cちゃんは皆さんが今か今かと待ち望んでいることをよく知っています
でも嬉しい思いを分かち合いたい気持ちを抑えねば
サプライズを羽生結弦のプロ転向一周年の際に沢山お届けしたいから

【良い子でじっと待つ】
Cちゃんと皆さんは羽生結弦のように
いい子で可愛く待ちます 待ち遠しいな待ち遠しいな

【どんないいニュースなのか教えて〜】
とうとうハニュー星からの信号をキャッチ
ノイズが吹き飛ぶようにと念じて
最新の挨拶のメッセージを受け取りました

【礼儀正しく微笑む】
本当は興奮が収まらないけれど
あくまで冷静を装い
「クール」なイメージを保たなければ。

【ちょっと可愛いく】
リンクでは毅然とした眼差しで理想を追い求める王者
オフリンクでは無意識にみんなを萌えさせてしまう青年
こんな「ギャップ」がある羽生結弦だからこそ
いっそうみんなに愛される
万物は絶えず変わりゆく それは輝かしい預言
心と呼吸は寄り添い合う それは時がくれた返信
皆さんが羽生結弦と共に前へと進んできた道のりをCちゃんに惜しみなく分かち合ってくれてありがとう
私たちはそれぞれの道で努力を続けているが
辿り着く先は同じ
理想の境地を感じて 共に生きて共に呼吸する

【どうぞよろしくお願いします】
全てのものは流れ行くが 思いだけは誠実だ
思いを寄せる先 あなたのことを誇らしく思う
Cちゃんは皆様の寛容さとご理解に感謝
「生翕」によって
愛と応援の思いはいっそう強くなる
無数の星たちが瞬く
その一つ一つが
眩い輝きを見届けるかけがえのない証人だ

【頑張って】
心の声に導かれ 目にした光景に感情を揺さぶられる
針が刻んできた全ての時間
心に寄り添い共に進んできた
いっしょに歩んできた一歩一歩
その全てに価値がある
百度に掲載されたコラム「第二の羽生結弦は現れるか?」
羽生さんお誕生日に投稿された、いつもの方(抻面鸡架yuzuさん)の文章を翻訳させていただきました。熱い思いがこもっています。
羽生さんはみんなの光だという部分、特に共感しました。
今年も沢山の光をいただいた一年だったな。感謝です😭
タイトルの通りです。
2022年は正に「お別れ」の年です。今年に入ってからショーンホワイト、セリーナ、フェデラー、そして何といっても羽生結弦といったGOATたちが次々と競技場を去って行きました。2022年は「伝説が幕を下ろす」というフレーズの登場頻度が、これまでになく高くなっています。
「伝説が幕を下ろす」と、多くの人が「後継者」を探し始めます。次の○○○○になるのは誰か?それとも新しい「レジェンド」になるのは誰か?しかしその種の人々は根本的な問題——伝説の伝説たる所以は稀少なこととコピーできないことだということを忘れがちです。

そこでそもそもの質問に立ち返ってみましょう。第二の羽生結弦が現れる可能性は?
私は即答できます。あり得ない。
先人はいないし後を追う者もいない。それが羽生結弦なのです。
長きに渡り保ち続けた競技成績
GOATになるためにまず必要とされるのは、安定して持続するキャリアです。一時的に咲いてすぐに散ってしまう花ではなく、すっと横切る流れ星でもなく、打ち上げられる衛星でもなく、常に輝き続ける恒星のように、持続的で安定したキャリアにおいて、超越した状態を保ち続ける必要があるのです。一言で言えば成績がものを言います。
羽生結弦の20年余りの競技生活(そうです。彼にとって選手生活というのは適切な言葉ではありません。彼の選手生活の第2幕が新しく開いたばかりなのですから。)の中で残した実績。この図は一見すると長過ぎるかも知れませんが、彼が収めた成績を的確に視覚的に表現しています。シーズンの大会全制覇、オリンピックを含む世界大会の制覇、スーパースラム達成、オリンピック2連覇、37枚の金メダル…これが羽生が書き記した歴史です。そしてこれらを全て達成してプロの選手に転向した時、羽生結弦はまだわずか27歳でした。

「フィギュアスケート繁栄の時代」を作った人
羽生結弦は一人で「フィギュアスケート繁栄の時代」を作ったと言っても過言ではありません。
確かに彼の前にも、そして彼の同期、後輩などからも、フィギュアスケートの各カテゴリーで沢山の巨星が生まれ続けています。「フィギュアスケートの王者」「フィギュアスケートの女王」「伝説のペア」「夢のカップル」「○○の第一人者」「天才少年」「天才少女」等等、これらの人々はみんな、努力によってフィギュアスケートというマイナー競技を多くの人に知らしめ、親しませてきました。
しかしこの種目を現在のような「衝撃的」な影響力があるものにしたのは間違いなく羽生結弦です。
もしも彼というきっかけがなかったら、あなたはカナダの小さな町ケロウナを知っていたでしょうか?
2019年の終わり頃に2019年フィギュアスケートチャレンジャーシリーズ大会の開催地となったカナダの小都市ケロウナの観光レポートによると、大会期間の3日間でブリティッシュコロンビア州には530万カナダドルの経済効果が生じ、そのうち450万カナダドルはケロウナで直接「消費」されたものだったと。2度のオリンピックを連覇した日本の羽生結弦結弦選手の出場が、3,500人以上の旅行客を引き寄せたのです。そのうち45%は初めてケロウナを訪れた人だったそうです。そしてこの大会だけでカナダスケート協会の収益は50万カナダドル増加したとのことです。
羽生結弦が出場するかどうかは、その大会の人気、興行収入、更にはテレビの視聴率、出版物の部数を決める重要な基準となっていました。2020年3月、日本のメディアが「羽生砂漠期の再現」の様子を報道しました。日本のフジテレビに長年にわたりフィギュアスケートの試合を放送し続けてきた伝統があったが故に起こった事態です。2020年のモントリオール世界選手権の延期が開会わずか4日前に発表(後日中止が決定)され、フジテレビが4日間連続で世界選手権を放送しようとしていたゴールデンタイムの枠が突然空いてしまったのです。コロナ禍で多くの人が自宅で自粛生活をしていて本来なら視聴率が急上昇するはずの時間帯です。突然世界選手権が無くなったことで4日間の空いた枠を埋めねばならなくなり、テレビ局の内部は混乱したと言います。それがいわゆる「羽生砂漠期の再現」です。似たような状況があったのは2016年でした。その年、羽生結弦がインフルエンザのため全日本選手権を欠場したことで、視聴率は落ち込みました。後日、ある番組の中で司会者がこぼしていました。あの時フジテレビの人たちの顔は青ざめていたと。
2022年7月に羽生結弦がプロ選手に転向したことで、同じような状況が新シーズンでも起こっています。2022-2023シーズンのグランプリシリーズの複数の会場の観客席の空席や、関連報道の少なさ、注目度の低さが、これまで3回のオリンピックを挟んでフィギュアスケートが世界規模で大きく発展し、人気を博したいわゆる「フィギュアスケート繁栄の時代」となっていた理由は一体何だったのかを物語っています。
創始者であり、創造者でもあり
限界を越えて、フィギュアスケートを越えて。
今は既に競技場に別れを告げ、プロ選手になったとは言え、羽生結弦の限界がどこにあるのかを誰もまだ知りません。競技生活の中で彼は絶えずチャレンジ精神を持ち続け、フィギュアスケートを進化させて来ました。
あなたは彼の限界はフィギュアスケートを「真・4回転時代」に導いたことだと思いましたか?しかし彼はすぐに「300点越え」を新たな指標とし、世界一になった後は66年振りに冬季オリンピックを連覇しました。これが羽生結弦が自ら書き記した歴史です。
自らこんなにも鮮やかな歴史を書き記し、既にフィギュアスケートの新時代を切り拓いた羽生結弦ですが、その後も彼はいっさい手を抜くことなく、新シーズンで新しいジャンプ——4Aへの挑戦を続けました。その時多くの人がレジェンドをレジェンドたらしめるものは何なのかを知りました。成功して名を挙げ、功績の上で胡座をかいていられる筈の時に、彼らは更に新しい挑戦を始めてまた新しい伝説を作るのです。
羽生結弦の北京オリンピックでの挑戦は、多くの人に悲壮感と、血の涙を流すような苦しみを感じさせたかも知れません。苦難を賛美するつもりはありませんが、北京オリンピックでの苦悩は確実に羽生結弦の精神性を鍛え、彼の未来と彼のフィギュアスケートへの思いを更に深いものにさせたと私は思います。
北京オリンピックを終えて、心残りはあったものの幸せを手にした羽生結弦は、2022年に自らの新しいフィギュアスケート人生の扉を開きました。
そして私たちは目の当たりにしました。
想像を越えた羽生結弦を。
プロフィギュアスケート選手の羽生結弦は27歳の年の後半に、想像を越えた形でこれまでになかったワンマンでのアイスショー「プロローグ」を創り上げました。そして世界中が未だかつてない全く新しいフィギュアスケートのパフォーマンスの形に驚愕している時、皆さんご存知のように心を込めて創られた「GIFT」というプレゼントがまた届いたのです。
私たちが最初「プロローグ」がどんなものなのか想像できなかったように、「GIFT」がどんなものになるのかは更に想像ができません。想像はつかないけれども、間違いなく素晴らしい、全く新しい「羽生結弦流のフィギュスケート」が誕生しようとしています。(以下、インタビューの中国語訳が引用されていますが、多分有料記事に載っていたものだと思うので割愛)
光を見る、光になる
スポーツにおいて成果を残すのは挑戦者。記録を残すのは優勝者。語り継がれるプログラムや見事な瞬間を残すのはスター選手。これら全てを残すのはGOAT。
そして、それらを超えて光となる者、それはレジェンドです。
羽生結弦は数え切れない人々の「光」になりました。
演技だけではありません。彼の言葉、彼の振る舞い、そして彼の存在そのものが沢山の人の希望の光であり、生きるための光です。私にはこの「光」が何なのかを説明するのが難しいのですが、きっと辛い時にしばし休息できる場所であったり、前に進もうと思えない時にあなたの背中をちょっと押してくれる力であったり、悩み苦しんで暗澹たる思いの時に笑顔を取り戻させてくれる瞬間なのだと思います。
そして私たちは知っています。その光がどんなに明るくて、どんなに長く灯り続けているかを。
これを読み終えて、あなたはまだ第二の羽生結弦が出てくる可能性があると思いますか?
もちろん思いませんよね。
伝説をコピーすることはできないだけでなく、彼はまだ進化し続けてていて「天井板」がどこにあるのかまだ見えないのですから。
ということで28歳になったレジェンド、お誕生日おめでとうございます。
百度に掲載されたコラム「天と地に恥じることなく、月と日をいだく!羽生結弦のイナバウアーは何故こんなにも忘れ難いのか? 」
今回も中国のファンの方によるコラムのご紹介です。羽生さんのイナバウアーについての考察です。
最高傑作とは何でしょうか?それは何度も何度も見たくなるもの。それは繰り返し振り返るに値するもの。それはいつどこで見ても心が震えるような感動と美を感じさせるもの。羽生結弦の数々のプログラムは正に最高傑作。羽生結弦の数々の技が最高傑作と呼ばれシンボルと呼ばれる理由は正にそれなのです。
最近ちょっとした理由があって羽生結弦のイナバウアーを振り返っています。そして気づきました。昨今は男女を問わずイナバウアーができる選手が少なくありませんが、やはり多くの人に愛されているのは羽生結弦のイナバウアーです。
何故でしょう?それは彼の技が安定していて転んだりしない(こら、そんな基本的なことをわざわざ言う必要ないでしょ)だけではなく、いつも感情がこもっていて非常に正確な動きで音楽の中の最適なポイントを捉えて行われ、見る者の心の琴線に触れるからです。
天と地に恥じることなく、月と日をいだく。
イナバウアー、レイバックイナバウアー(Ina Bauer)はイーグルに似ていますが、違うのは片側の膝を曲げて腰を反らせる動きが伴うところです。ビールマンと同じく、イナバウアーに必要とされるのは選手の腰部の力と柔らかさですので、美しいイナバウアーができるのはほとんどが女子選手です。かつて日本のフィギュアスケート女王荒川静香のイナバウアーは素晴らしい最高傑作となっていました。
そして羽生結弦がイナバウアーを練習し始めたのも故郷の先輩への尊敬の念からでした。再スタートした仙台のリンクに荒川が帰ってきた時の放送で、現地の司会者が「ここにはビールマンやイナバウアーができる男の子がいるんですよ」とキューを出しました。驚く荒川に向かって悠然と滑って来て、すぐさまイナバウアーとビールマンを披露したのが、小さな小さな羽生結弦でした。
「男子でこれは凄いですよ!」荒川は感慨深げに言いました。その後、この男の子がオリンピック二連覇のフィギュアスケートのGOATとなり、その上27歳になってもまだイナバウアーやビールマンができるだなんて誰が予想したでしょうか。
北京オリンピック前に新華ネットが微博で行った「あなたは羽生結弦の代表的な技のうち、どれが1番印象に残っていますか?」というアンケートで3位になったのがレイバックイナバウアー。ファンたちがこの技をどれだけ愛しているかがわかります。
そして2022年FaOIの楽公演。羽生結弦はアンコールの『ノートルダム・ド・パリ』で、ステージから飛び降りてリンクに駆け出しました。音楽の最高潮でリンクを貫いて見せた泣くような、訴えるような、歌うような、吟じるようなイナバウアーは、舞台からリンクへの流れを美しく繋げたのでした。
心が揺さぶられました。
初めて見た人は言うかもしれません。普通のイナバウアーでしょ?沢山のプログラムで演じられているし、どれも同じでしょ?と。しかし何度も見ているうちにわかるでしょう。同じイナバウアーでも羽生結弦はいつもプログラムの内容によって、音楽によって、全く違った見せ方をします。長さや手の動きだけではなく表情も。彼のイナバウアーは一つ一つ全て違うのです。
『ホープ&レガシー』のイナバウアーは、優しく、力強く、全てを包み込む春の大河のよう…
『春よ、来い』のイナバウアーは、顔を上げた瞬間、瞳の中には桜の花が咲き誇り、指先には春風のような暖かさ…
櫻ちゃん(春ちゃん)のイナバウアーを見た後で『Origin』のイナバウアーを見ると、その違いが実感できると思います。
腰を反らせる角度や浮かべた表情が全く異なるこのイナバウアーでは、悲痛な思いを秘めた強さが表現されています。
そして『ノッテステラータ』の白鳥のイナバウアー。腕の動きは伸びやかで、まるで湖畔の白鳥が翼を広げ、星の光の中で翼をはためかせて飛び立つかのようです。何とロマンティックで優雅なのでしょう。
羽生結弦のイナバウアーはこんなにも長年に渡り、まだ続けていると言うだけでなく、ますます進化し続けています。黒オリジンの印象深いイナバウアーと言えば、2018年のグランプリシリーズロシア大会で披露されたものでしょう。彼は試合前の公開練習で怪我をしたと言うのに、難易度を落とすことなく素晴らしい闘いを見せてくれました。

このイナバウアーは音楽がクライマックスを迎えた時に行われました。腰の角度は非常に深く、実施時間はとても長く、しかも羽生結弦は左手で顔を覆っていました。この瞬間のイナバウアーは決意のこもった所作で、ニジンスキーの壮絶で美しい人生を表し、羽生結弦の戦士としての勇敢さと確固とした意思を表現していました。
一番苦しい時でも尚、完璧な演技をみんなに見せてくれる。これには完璧なテクニックと腰部や腹部の体幹コントロール力の強さだけではなく、勇気と愛と気概が必要です。
では私たちは何故羽生結弦のイナバウアーが好きなのでしょうか?それは、心からの愛と誠意から作り出される技には忘れ難い美しさがあるからです。
百度に掲載のコラム「羽生結弦 夢を追う人 夢を創る人」
前回と同じ方によるプロローグ横浜公演に関するコラムです。今回も教養溢れる素敵な文章。
途中に引用されている荘子の作品も深いです。
北京オリンピックのフリースケーティング。あの決意に満ちた挑戦の後、羽生結弦がインタビューで何度も触れたのは9歳の自分のことでした。あの勇敢で何も恐れない、4Aの挑戦で氷に倒れ込んだ自分を助け起こした9歳の小さな羽生。
2022年2月、北京オリンピックが終わった後、私はコラムを一本書きました。タイトルは「羽生結弦:夢を追う純粋な心」。誠実で勇敢。わがままで負けず嫌い。私は思います。9歳の時も27歳の時も、彼はずっとひたすらに突き進み、孤独に闘い夢を追い求めて来た人だと。
北京オリンピックの9ヶ月後、競技の場を去ったもののリンクからは去らなかった羽生結弦は、夢を追う人から夢を創る人になりました。
羽生結弦がプロアスリートへの転向を発表した記者会見で言っていた通り、彼のフィギュアスケート人生の第二幕が始まります。史上例のないワンマンアイスショーはまさに彼が選んだ新しいプロローグの幕開けにふさわしいものでした。
「プロローグ」がスタートする前、多くの人が思いました。きっと素晴らしいショーになると。しかし、ここまで素晴らしいとは誰にも想像できませんでした。
究極のロマンティスト羽生結弦がファンのために作り出したのは単なるアイスショーではなく、この上なくロマンティックなこの世の夢の世界でした。
これは「夢」ですよね。あなたは羽生結弦の「プロローグ」以外のショーで会場のライトを全て灯し、6分間練習を行い、試合と同じようにコールされ、試合とほぼ同じジャンプ構成でプログラムを演じるのを見たことがあるでしょうか?
これはまさしく「夢」の中でしか見られない光景。1回のアイスショーでで27歳の、もうすぐ28歳になる羽生結弦がビールマンを3度も見せてくれるなんて…
これは間違いなく「夢」としか言いようがありません。かつて数え切れない人たちの心の扉を押し開けた「憧れ」の少年ロミオが大画面の中で叫び、プロローグの時空の扉からはあの時のコスチュームを纏った27歳の羽生結弦が滑り出して来ました。全てが変わったけれど、何一つ変わっていなくもある。それはあの頃から今なお続く感動…
もちろんこれらも、クライマックスを飾った『いつか終わる夢』『春よ、来い』の2つのプログラムの夢幻の世界には及ばなかったかも知れません。ショーが終わってまる1週間が経った後も、ほとんどの人はまだ理解できないでいるでしょう。彼が一体どうしてこんなことを成し遂げられたのか。
リンクは真っ暗になり、彼は光に従って氷の上を動いていました。それとも、光が彼に従って動いていたのかも知れません。北の果ての暗き海に魚あり。その名は鯤(クン)。鯤(クン)の大きさたるや幾千里なるかを知らず。鳥と化せば、その名は鵬(ホウ)となる。鵬(ホウ)の背たるや幾千里なるかを知らず。(訳者注:「北の果ての暗き海に…」は庄子の作品「逍遥遊」の冒頭からの引用のようです。この鵬は何千里も上空に昇り南の果ての海まで飛びますが、蝉や鳩はそんなに飛んで一体何になるのかと嗤います。世俗に生きる者には何にも縛られない自由な世界にいる、全てを超越した者の生き方は理解できないのだ、と言うことがその続きに書かれています。)深海にいる人魚の足元まで届いたあの水の流れ。肌寒い春風の中で終に綻んだあの桜の花。それはフィギュアスケートだったのでしょうか?それとも芸術?一幅の絵画?それとも流れ行く、言葉では表せない、夢の中で見た夢?
「魂とともに舞っていたり、歌っていたり、感情を表現していたり、本当に幻想的な風景の中で水中にいたりっていうシーン」。羽生結弦は『いつか終わる夢』と『春よ、来い』の最後の場面についてこのように描写しましたが、それはまさに私たちが感じ取ったものと同じでした。
人が魂の全てを込めて氷上で舞う時、氷そのものに魂が宿ります。天と地の大いなるを知りし者、草木の青さを慈しむ。私たちは羽生結弦がいつも語っている「羽生結弦のフィギュアスケートを全うしたい」という言葉の意味をやっと理解したのです。
それはこれまでのフィギュアスケートとは全く違う別のカテゴリーの、真に技術と芸術が合わさった新しい表現の形でした。彼はずっとわがままに自分の夢を追い求めて来ました。ショーの最後に誰もが涙したVTR『サザンカ』にあった通りに。映像の中の羽生結弦は小さい頃からひたすら夢を追い求め、何度も何度も転び、怪我をし、傷付いて来ました。しかしどれだけ傷だらけになったとしても、また立ち上がることさえできるなら物語は続いて行くでしょう。
物語は確かに続いています。
2月の北京の冷たい春風は11月の晩秋になって終にこの上なく美しい桜の花を咲かせました。かつて必死で掴み取ろうとしたあの光は今、羽生結弦の手の中にあります。「(まずはこのプロローグを毎日毎日、成功させるために努力していったこととか、きょうはきょうで、一つ一つのジャンプや演技に集中していたこととかが)積み重なっていって、また新たな羽生結弦というステージにつながっていったり。それが積み重なっていくことで、新たな自分の基盤ができていったりもすると思うので、いまできることを目いっぱいやって、フィギュアスケートの限界を超えていけるようにしたいという気持ちでいます。それが、これからの僕の物語として、あったらいいなって思います」
かつて懸命に夢を追いかけていたあの少年は数え切れない人のために夢を創るフィギュアスケートの神様になりました。
でも羽生結弦が夢を創る人になったなら、その夢は手の届かないようなものなのでしょうか?
最後の曲が終わると、フィギュアスケートの神様はシンプルなTシャツ姿で戻って来て、アンコールの『パリの散歩道』を演じました。屈託のない少年の姿で。そして格好をつける仕草の時には以前と同じように少しはにかんだ表情。最後の最後、笑顔でその場を去り、再び開いた「序章の扉」を象徴するかのように、これまでと同じく全ての観客に向かって「ありがとうございました」と叫んだのです!

これを見て私は思い出したのは2015年、20歳になったばかりの羽生結弦がドキュメンタリーの中で語った「わがままであり、頑固であり、負けず嫌いでありたいなと。」「しっかりと(大人になったよって)胸を張れるような人間になりたい。」という言葉です。
ほら、7年経っても変わっていません。夢を追うのも夢を創るのもやはり彼なんです!そんな羽生結弦は自分のことを「幸せです」と言いました。
そして幸運にもそんな彼を見守ることのできる私たちはもっと幸せでなのてはないでしょうか。
百度に掲載のプロローグ横浜公演感想「これってオリンピックの開会式ですよね!羽生結弦の初のワンマンアイスショーは想像を超越していた! 」
この方の美しくて優しい文章、大好きです。
百度などで頻繁に羽生さん関連の文章を書かれているファンの方による、プロローグ横浜公演の感想。

朧に霞む幽玄の世界。天上に昇るような、深い海に潜るような。これこそが羽生結弦がもたらす極上のフィギュアスケートの視覚の喜び。
羽生結弦の初のワンマンアイスショー『プロローグ』の横浜公演は11月5日に成功裡に幕を閉じました。2日間の公演は両日とも超満員。1万6千人以上の現地観覧者、3万人以上の映画館での観覧者、そして2日目にはライブ放送もあり、世界中の人々がリアルタイムでこの視覚の饗宴を楽しみました!そして羽生結弦がもたらす全く新しいフィギュアスケートの美しさに心を震わせたのです!
羽生結弦のこのアイスショーを一つの言葉で表すのは難しいのですが、彼が見せたのは誰も見たことがない、様々な芸術を融合させたパフォーマンスでした。どうしても言葉で表せと言われるならば、私は正に「羽生結弦のフィギュアスケート」だったと言いましょう。
特に羽生結弦が自身で作ったという『いつか終わる夢』。
それは伝統的な「フィギュアスケート」の形ですらありませんでした。
ジャンプがなく、スピンもなく、あったのはスケーティング。心のままのスケーティング、流れるようなスケーティング、優美なスケーティング。
このプログラムは羽生結弦が練習の最後に毎回行うクールダウンの動作をイメージしたものです。前からファンたちが見たいと願っていた「大好物」の動作。羽生結弦は語っています。『いつか終わる夢』の曲を聴きながらクールダウンをしている時、その動きとこの曲がぴったり合うことに気付いた。そう言えばファンの皆さんもクールダウンが好きだと言っていたし、これを一つのプログラムにしようと決めたのだと。
クールダウンは練習やスケーティング技術のテストに使われる動作です。一見簡単ですが、選手の基本的な技術が試される構成になっています。そして羽生結弦ならひたすら滑るだけでプログラムに込めた思いを伝え、プログラムの内容を豊かに表現できるのです。
更に羽生結弦は幻想的なライティングや氷上に映し出されるプロジェクションマッピングで、このプログラムを本物の芸術品に仕上げました。
静寂の中、幕が上がる。氷上で万物が蘇り、羽生結弦の足元から生命の川が流れ出す…
運命の巨大な流れは大きく波打ち、逆巻く。変幻自在を極める波と雲の間でどれだけのものを転覆させ、どれだけのものを沈め、そしてどれだけの激流を起こすのでしょうか…
人生はまるで海。しかし夢がいつも彼の心強い翼になります…
どん底にいるあなたを抱き締め、あなたを支え、あなたに新たな希望を授けてくれる…
真っ暗、灯る、光を受け止めて、応援、夢、ただ滑る、希望、想い、水面、分かっている、感情、怖い、独り、消える力、世界、呼応……
ライトが再び暗くなり、彼の足元から文字が生まれて来ます。
ここからはこれまでの全ては序章。
これはいつかは終わる夢、そして永遠に終わらない夢。
夢のようで幻のようで。水の中で人魚が歌っているようであり、空中で精霊が舞っているようでもありました。羽生結弦のこんな幻想的な演出をサポートしたのが日本のトップ舞台芸術家であるMIKIKO氏でした。
彼女は大好評を博したリオデジャネイロオリンピック後の「東京8分間」の総監督であり、2020年の東京オリンピック開会式の舞台デザイナーを務める予定であった方です。
この『いつか終わる夢』だけではなく、アイスショーのラストの曲『春よ、来い』の煌びやかで伸びやかな氷のライティングもMIKIKO氏が羽生結弦のためにデザインしたものでした…
「演出をMIKIKO先生にお願いしました。」
「初めてここまで本格的なプロジェクションマッピングも含めて演出としてやって頂いたので、また皆さんの中でフィギュアスケートのプログラムを見る目が変わったと思うし、実際に会場で見る、近場の自分と同じ目線で見るスケートと、上から見るスケートと、カメラを通して見るスケートって、全く違った見え方がすると思うので、ぜひぜひそういうところも楽しんで頂きたいなというプログラムです。」羽生結弦は初日のショー終了後のインタビューでこのように語りました。
そう、自身のこのアイスショーの「総監督」として羽生結弦が考えたこと、行動したことは単なる「フィギュアスケート」の範疇を超えていました。彼は卓越した芸術表現力、技術力、美的感覚、実行力、そしてもちろん財力も躊躇わず使って、歴史上例のない、比類のないフィギュアスケートのショーをこの世界に捧げてくれたのです。
ショーが終わった後、ネット上にこのようなコメントが出てきたのも無理はありません。
「私が見てるのは本当にオリンピックの開会式じゃないの?」(心から同感です!)
「羽生結弦はどうして2020年の東京オリンピックの開会式に出なかったの?彼がこのプログラムで出演したら、東京オリンピックの開会式は救われたのに!」(うん、でも東京オリンピックは夏季オリンピックなんですけどね!)
「2030年札幌オリンピックで開会式にはこれをやると申請したら招致が叶うはず!」(もし招致できたら、羽生結弦が開会式に出てくれますように)
……
ですから私たちは最後にこの問いに答えましょう。羽生結弦の『プロローグ』が始まる前はどんな想像をしていましたか?実際はその想像に応え、そして想像を超えるものでしたか?
答えはきっとイエスですよね。
それはあらゆる想像を超越したパフォーマンスでした。