kuppykuppy’s diary

中国語で書かれた羽生結弦選手関連の文章を色々と翻訳しています。速報性皆無のマイペース素人翻訳ですが、よろしければお読み頂ければ嬉しいです。 Twitter:@kuppykuppy2020

(完結)2018年4月のVOGUE記事 羽生結弦ーー顔面偏差値に惹かれ、才能に落ち、人間性について行く②

しばらく放置していたVOGUEの記事、やっと訳し終わりました。

 

(翻訳)2018年4月のVOGUE記事 羽生結弦ーー顔面偏差値に惹かれ、才能に落ち、人間性について行く①の続きです。

 

星降る夜
NOTTE STELLATA
— YUZURU'S COSTUME —

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最も美しい瞬間

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シットスピンの時に氷上に映し出される影は正に白鳥そのもの

 

「星降る夜」は羽生が2シーズンにわたってエキシビションで滑ったプログラムです。イタリア語の「Notte Stellata」は「満天の星たち」を意味しています。

 

7年前に東日本大震災が起こった時は仙台のリンクで練習中であった羽生。そこから逃げ出した後は体育館で避難生活を経験しました。街は停電して真っ暗でしたが、空の星たちだけは殊の外明るく輝いていて、少年の心の希望の種となりました。その時の思いから生まれたのがこのプログラムです。

 

白い羽の装飾、大胆に肩を見せるデザイン、V字に開いた背中は、白鳥のようなほっそりとしたしなやかな美しさを感じさせます。そして腕や腰の部分に散りばめられたストーンはまさに空に輝く星たちのようです。

 

永遠の少年のような雰囲気とスレンダーな体型ゆえ、フェミニンな衣装も羽生なら自然に着こなします。これが彼の大きな持ち味です。

 

実は羽生のエキシビションやショーのプログラムは、あるテーマと切り離せないものが殆どです。それは被災地への祈り。震災後に各地のリンクを転々とした彼には、被災地のためにもっと何かしたいと言う思いがあります。だからこそ、金メダルを取った時の賞金、自伝の印税などの全額を寄付し、エキシビションやショーのプログラムでもその思いを出来るだけ表現しようとしているのです。

 

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2015年の羽生のプログラム「Believe」

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2012年の羽生のプログラム「花になれ」

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2012年の羽生のプログラム「The final time traveler」

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2014年の羽生のプログラム「花は咲く」

 

それ故に羽生のエキシビションやショーの衣装は試合の衣装よりも更にしなやかで美しいものになります。シフォンの生地にフリルや花の装飾を施した衣装は薄暗いリンクの上で、生命の力に満ちた光を放ちます。

 


ホープアンドレガシー
HOPE & LEGACY
— YUZURU'S COSTUME —

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最も美しい瞬間

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羽生の象徴と言えるレイバックイナバウアー


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一般的には女子選手しか出来ないと言われる「ビールマン」スピンは、高い柔軟性が必要な技です

 

羽生の感情が最も満ち溢れているフリーのプログラムであり、フリーの最高得点を現時点でも保持しているプログラムです。「Hope & Legacy」は1998年の長野パラリンピックのテーマソングで、作曲家はあの有名な久石譲。その年は丁度羽生がスケートを始めた年でもありました。

 

このプログラムは羽生とスケートリンク、そして自分自身との対話を表しているように見えます。4歳で始めたスケート、それはやがて彼の人生の全てと言えるほどになりました。憧れから始まり、渇望、苦しみ、恐れを経て、遂には感情を解き放ち喜びに至る様が一気に伝わってきます。

 

衣装の青、緑、白のグラデーションは正に天空、大地、スケートリンクの色。流れるように淀みがありません。またストーンはこれまでになかったほどぎっしりと飾り付けられています。まるで羽生がこれまでに残してきた一つ一つ光り輝く痕跡のように。

 

何とも神秘的だったのが、2017年の世界選手権。ショートでのミスにより5位になってしまった後、このフリーのプログラムは223.20の超完璧なパフォーマンスで世界記録を更新して不可能を可能にし、彼がこの金メダルを獲得するのを助けました。

 

この衣装には実は6年前に「前身」がありました。それは羽生が311の大地震のすぐ後のあのシーズンのショートプログラム「悲愴」(Étude in D sharp minor, op. 8 no. 12)——

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羽生にとってはこれは心に抱いた哀悼の思いを表した衣装です。幾重にも重ねられた様々な濃さの青は波と海を表しています地震津波の被害で失われた全てへの追悼の念。当時僅か17歳であった彼は、既に魂のこもった演技を捧げていたのです。

 

 

オペラ座の怪人

THE PHANTOM OF THE OPERA
— YUZURU'S COSTUME —

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最も美しい瞬間

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仮面を付けて外す動作

 

オペラ座の怪人」は沢山のフィギュアスケート選手が使用したことのある定番曲ですが、

羽生の解釈は私たちに新鮮な印象をもたらしました。

 

最初の衣装は赤と黒の2色と白のアシンメトリーなデザイン(黒の部分は透けるレース)で、愛に取り憑かれたファントムのキャラクターにぴったり。19世紀の宮廷の男性の衣服のような華麗さもありました。

 

しかしこの衣装は一度着用されただけで封印されました。試合前に他の選手のジャンプの軌道と重なって激しく衝突し、深刻な外傷と内傷を負い、手術までせねばならなくなったのです。そのためこの「血のファントム」はその後二度とリンクに現れていません

 

新しくデザインされたファントムの衣装は具象 的なものからから情緒を掻き立てるものに変わりました。その柄には天使と亡霊の悲しい愛が暗示されているかのようです。しかし襟元や袖口、ウエスト部分のデザインにはロマン派時代の風格が漂います。


パリの散歩道
PARISIENNE WALKWAYS
— YUZURU'S COSTUME —

 

最も挑発的な瞬間

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演技の最初に頭を撫で足を上げてジャッジにアピール

 

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かっこいい「へ」と手からの放電

 

ファンが言うところの「パリの大散歩」は多くの人が「落とし穴に落ちた作品」です。羽生は2012年シーズンからこのショートプログラムを演じ始めました。それと同時に彼の各種の記録の更新の道が始まり、2014年のソチオリンピックでは初めてショートプログラムで100点を超えを達成しました。

 

一見シンプルなシャツ+ベルト+パンツの組み合わせですが、実はシャツには工夫があります。胸と背中のプリーツの中にはキラキラと輝くスパンコールが沢山。まるで空のような青と白のシャツの中で雲を避けてきらめく星たちのようで、当時の彼から溢れる少年の若さにぴったりでした。


我らが「完璧主義」羽生選手は、毎回試合で飲む飲料のペットボトルカバーも試合の衣装とお揃いなんですよ〜。(恐らく羽生のお母さんの器用な手腕でつくられたものでしょう。)華やかなフィギュアスケートの衣装はともすれば1万元(訳者注:日本円で15万円ぐらい)以上することもありますので、羽生の衣装は初期の頃はお母さんがデザインして手作りしていました。後に、デザイナーの折原志津子や、フィギュアスケートの名選手であるJohnny Weir、伊藤聡美等とコラボレーションをするようになりました。一着一着が観賞に値する衣装です。実は現在日本では羽生の写真と衣装の展示会が開催されています。日本にいらっしゃる方は行ってみられてはいかがでしょう。

 

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折原志津子がデザインした2011年シーズンの「ロミオとジュリエット」の衣装


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Johnny Weirがデザインし、羽生の母親が手作りした2010年シーズンの「ツィゴイネルワイゼン」の衣装

 

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2009年シーズン(まだシニアに上がっていない頃)の「ミッションインポッシプル」の衣装

 

オリンピックの金メダリストにここまで人気が集まる理由は容姿とこの種目自体の魅力だけでしょうか?その話になれば、この誰もが良く知るフレーズの出番ですね。「顔面偏差値に惹かれ、才能に落ち、人間性について行く。」

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オリンピックで2連覇、世界記録を破ること12回、そして目下ショート、フリー、総合得点での記録も保持。この揺るぎない数字の背後には間違いなく彼の完璧主義と、演技に関して妥協しない姿勢があります——

 

「できることを出し惜しみしてやっていたらつまらないじゃないですか。それは多分一生懸命ではない。」

 

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毎回リングに上がる前、羽生は氷に触れる。それは彼のこのスポーツへの尊敬の念の表れ

 

「負けたくない」と率直に口に出せる羽生は、今なお意気揚々とした少年のようです。銀メダルでは絶対に満足できない彼。高難度のジャンプをただ跳べればいいのではなく、最高難度のコンビネーションジャンプにして、最高の加点を得てクリーンに決めることを目指しています。小手先の動きで誤魔化すようなことは絶対にしません。怪我や病気に悩まされることが多く、競技成績には上がり下がりがありますが、肝心な時には失敗しません。名を成した後は引退を選ぶ選手もいる中で、彼はこの種目にまだ熱狂していて、4回転半や5回転に挑戦したいと公言……まさに彼自身が言う通り、人生の全てをこのスポーツに賭けているのです。

 

固い意志の力だけではありません。羽生の頭脳は運動能力に引けを取っていません。早稲田大学に合格し、数秒で迅速にプログラム構成を練り直して失点を取り戻したり、自らアイスショーをプロデュースしたり、記者の腹黒い質問にも神対応をしたり。彼はリンクの内外で魅力を発揮しています。

 

「ライバルが誰かなんて話したくない。僕のライバルは僕自身だ。」

 

「自分の考えですが、人生のプラスとマイナスはバランスが取れていて、最終的には合計ゼロで終わると思っています。」

 

私たちは願っています。羽生結弦と言うこの名前が末永く、皆にとっての憧れの力と優しさの光であり続けてくれますように。