前回の記事に出てきた「才能に惹かれ、顔面偏差値に落ち、人間性について行く。」のつながりで2018年4月の中国のVOGUE の記事にたどり着きました。これ、当時かなり話題になっていたようなのに全く知らなかったです。
写真のチョイスが本当に素晴らしくて、写真を見てるだけで幸せになれますね。
内容はフアッション誌だけに意識高い系の論評かと思いきや、ファンのような視点で熱く語っている部分が大いにあり、親しみやすく楽しい記事でした。
当時散々話題になったと思われますが、訳文をアップさせてもらいます。長いので今回はまず前半を。
羽生結弦ーー顔面偏差値に惹かれ、才能に落ち、人間性について行く
皇室の園遊会でご令嬢方よりも花よりも美しかったこの男性
執筆 Hezi VOGUE 2018-04-27
「この世に存在しない青い薔薇のように、羽生結弦はこの世に実在する人ではないかのようだ。」日本の写真家蜷川実花は羽生結弦をこのように評しました。わずか23歳で伝説の存在となった彼は私たちにこれからどれほど奇跡のような驚きや喜びをもたらしてくれるのでしょうか。
日本の皇室は毎年春に園遊会を開催し、各界で活躍している人物を招待します。その日は一同が御苑にて花を愛で、言葉を交わし合い、美味しい料理を味わい、音楽を楽しむのです。
今年の1,940人の賓客の中に、登場するや否や会場の女性陣を気もそぞろにさせた人物がいました。彼こそが2018年冬季オリンピックで連覇を成し遂げた男子フィギュアスケート選手の羽生結弦です。
何日か前に故郷の仙台で10万人以上を集めて凱旋パレードを行ったばかりの羽生結弦は、今年も園遊会に招待されて出席しました。(前回は2014年に金メダルに輝いた後)皇族のご令嬢方までもがうきうきとされ、羽生の試合の時には手を握り合って見守り、応援したのだと話されたのです〜(キラキラしたファンの目で)
このような正式な場面では、女性の賓客は一般的には和服やセットアップ、男性は紋付の羽織袴かスーツやユニフォームを着用します。
二度ともスーツを着て出席した羽生は細身で身体にフィットしたデザインが好きなのだと言います。しかし羽生は非常にスリム(正確に言うと筋肉がしっかりしていて、体脂肪率が極めて低い)で、普通のスーツで身体にフィットするものはなかなかありません。
(パレードの写真のキャプション)
先週凱旋パレードを開催した羽生、スーツは身体にぴったりフィットしていたとは言えません。でも以前着ていたお父さんのスーツのようなのと較べると、とても良くなりましたよ〜
スーツよりも日本の伝統的な羽織袴の方が羽生にはよく似合います。この超謙虚なオリンピックチャンピオンは、私たちにそれを着た姿を滅多に見せては下さいませんけどね〜
(家庭画報に載った袴姿の写真のキャプション)
2015年に羽生の羽織袴姿が初めて雑誌に掲載されました
イヤホンとゲームのオタク。俗世間を超越した雰囲気の氷上の王子ですが、プライベートではファッションに無頓着で基本的にはジャージ姿です。
(ジャージ姿の写真のキャプション)
ジャージを着ているだけでもこのカッコ良さ〜〜
雑誌の写真撮影も滅多にありません。アイドルではありませんので。(ただし、撮るとなれば盛大にやってくれます。)
(写真のキャプション)
日本の「時代週刊」と呼ばれる雑誌「AERA」に掲載された蜷川実花が撮った羽生結弦
そして羽生はリンクの上で変化に富んだ華麗な姿を見せてくれます。一着一着の衣装はまるで芸術作品。アシンメトリーなデザイン、散りばめられたストーン、グラデーション、和風、クラシカル、レース……そこには男性的な豪胆さと女性的な優美さが美しく融合しています。
フィギュアスケートで求められる技術と芸術の両方を兼ね備え、この種目の「絶対王者」と言われる羽生。衣装だけで既に唯一無二を宣言しているかのようです。
ショパンバラード第1番
CHOPIN BALLADE NO.1
— YUZURU'S COSTUME —
最も美しい瞬間
オリンピックバージョンの目を閉じて髪をかきあげる仕草
誰もが羽生のことを「神仙のようなスケーター」だと言います。「ショパンバラード第1番」(以下略して「バラ1(叙一)」と呼びます。)は彼の神仙のような優雅な雰囲気を最もよく表すプログラムでしょう。
2014年のオリンピック後の新シーズン、バラ1のバージョン1.0が登場しました。白から青へのグラデーション、縦に並んだラインストーン、エレガントなパフスリーブ。これらがリンクの上で変化に富んだ美しさを見せ、この名曲のゆったりとした穏やかな部分を余すところなく表現していました。
(写真のキャプション)
バージョン1.0の拡大写真を見ると、ラインストーンだけではなく青や紫系の色のパールの装飾も施されていることがわかります
(写真のキャプション)
バージョン2.0のバラ1
2015シーズンのバージョン2.0のバラ1では、衣装の色がロイヤルブルーからスカイブルーに変わり、袖口と腰の部分に金色が入りました。そしてベルトも金色に。(全ては王者の金色への渇望の反映)
(写真のキャプション)
オリンピックでのバージョン3.0のバラ1
そしてオリンピックシーズンに選ばれたブルーは、前回の2つのバージョンの中間のディープスカイブルー。ゴールドは更に更に更にバージョンアップ——襟元にも金色のビーズとストーンが加わり、金色のベルトには色とりどりのストーンがキラキラと(それでいて控えめに)光り輝いていて、このバラード曲のクライマックス部分の濃厚に激しくぶつかる感情と熱狂する魂を完璧に表現していました。
晴 明
SEIMEI
— YUZURU'S COSTUME —
最も美しい瞬間
(写真のキャプション)
冒頭の「天地人を統べ正道に導く」ポーズ
羽生のシンボル「Hydroblading」 (羽生が自分でもこの表情をカッコいいと思うと言っていました〜)
羽生のプログラムの中で最も高い名声を得たのは間違いなく、映画「陰陽師」からインスピレーションを得た「晴明 SEIMEI」でしょう。
(写真のキャプション)
バージョン1.0の晴明
2015シーズン前のアイスショーで、羽生は初めてこのプログラムを公開。平安時代の重い狩衣がデザイナーの伊藤聡美と羽生によってアレンジされ、軽くて身体にフィットした競技用衣装になっていました。
(写真のキャプション)
映画「陰陽師2」(2003)の劇中写真。野村萬斎が安部晴明に扮しました。
映画で晴明に扮した狂言師野村萬斎は羽生と一対一でやり取りし、手の動作、リズムのコントロール、キャラクターの理解などの面について沢山の助言をしました。新シーズンがスタートするとバージョン2.0の「羽生晴明」が公開されました——
一番はっきりわかるのが肩と腰の部分が更にゆったりとして、動き易くなっていることです。袖口の浅緑色の紐には萌葱色の縁取りが加わりました。前身頃と後身頃にはメッシュの生地が重ねられ、沢山の金色の装飾と緑色の刺繍やストーンが施されています。そして黒い手袋。陰陽師の動きには手を動かす部分が非常に多いので、黒色とリンクの白色とのコントラストを作り出す効果があります。
(写真のキャプション)
バージョン2.0の拡大写真。細かく複雑に金色のビーズや刺繍、宝石で装飾されています。
この度のオリンピックではバージョン3.0が登場しました。広範囲に使われていたビーズや刺繍の装飾が取り除かれ、細かいストーンによる装飾に替わっています。(聞くところによると3,000粒)主な目的は衣装を軽量化してジャンプを跳びやすくすることでした——
ベルトも王者の風格をより感じさせる金色になり、大小さまざまなストーンで飾られています。そして全体の色が微調整され、紫に深い赤みが加わり、袖口の紐の色はシアンブルーになりました。
前後の身頃、袖口、そして裾。全てに華麗で流麗な金色の鳳凰の模様(何と言っても王者に必要なのは勇ましさ+高貴さ)が入れられ、背中の中央には陰陽師のシンボルである魔除けの「五芒星」もありました。
一般的に考えると日本の伝統的な曲目を選択することは国際大会において決して有利なことではありません。しかし彼はこのプログラムによって2度も世界記録を破り、2018年にはオリンピック連覇まで成し遂げました。この衣装の細部を見るだけでも、彼がこのプログラムを作り上げるのにどれ程心をこめたかがよくわかります。
レッツゴークレイジー
LET'S GO CRAZY
— YUZURU'S COSTUME —
最も挑発的な瞬間
羽生の全てのプログラムの中で「Let's go Crazy」(ファンからの愛称は「走瘋」)は一番一番一番挑発的なプログラム。基本的に一度見ると血液が一度空になり、プログラムの中に織り込まれている各種のカッコいい仕草にクラクラしてしまいます。
この曲はPrinceの名曲。2016年4月、このポップスターはこの世を去りました。その頃新シーズンのプログラムを準備していた振付師と羽生は、この曲でPrinceに敬意を表すようなクレイジーで大胆なプログラムを作ることにしました。
(写真のキャプション)
クレイジーの衣装をPrinceの衣装と比較すると袖の部分は少し透けています。
ファッションはprinceの当時のライブからインスピレーションを得ています。この曲が収録されていたアルバムは「Purple Rain」。ファッションも紫色が主流となっていて、シャツの上に着たスタンドカラーのベストもMVのファッションを踏襲しています。そしてベストのビーズ刺繍やラインストーンもそのデザインに従ったものです。
ヘアスタイルも以前とは違っています。珍しく額を全開にしたオールバック。実は日本の「伊達男」の風格が参考にされています。この言葉の由来は日本の戦国時代の武将、伊達政宗。勇ましく戦い、かつ華麗な装いをしていたという彼から「伊達男」の言葉が生まれ、後に華々しい御曹司のような男性を表す言葉になりました。
(続きます)