羽生選手プロ転向のニュースを受けて北京オリンピックを取材した撮影記者さんが書かれた記事。
北京オリンピックの取材で羽生選手の直向きな情熱や謙虚さに触れて心を動かされた思い出が綴られています。
澎湃新聞 2022-07-19 21:18 上海より
澎湃新聞記者 馬作宇
羽生結弦が競技の舞台に別れを告げ、今後はプロスケーターに転身する。
このニュースを聞いて、私は少なからず驚いた。と言うのもつい3、4ヶ月前はSNSでの羽生結弦に関する話題といえば、彼が日本オリンピック委員会へのメッセージ企画でで発した「僕も(札幌冬季オリンピックに)出たいです」という期待のこもった言葉だったから。
私は羽生結弦の熱狂的なファンだというわけではない。しかし北京オリンピックのミックスゾーンやプレスルームで何度か間近で彼に接して、私は彼の人間性の魅力を心から感じ、どうしてこんなにも多くの中国ファンが真っ直ぐに羽生結弦を応援するのかを理解した。
北京オリンピックの撮影記者証を手にした私は、幸運にも会場でフィギュアスケート競技の撮影をする機会を得た。その際、会場での撮影場所は基本的に防護フェンスを隔てただけの場所だった。
言い換えれば羽生結弦のリンクでの一挙一動が私の目の前で繰り広げられたのだ。
転倒、それが恐らく私が北京オリンピックのフリースケーティングの会場で残した羽生結弦に関する記録の中で一番多いシーンだ。人類のフィギュアスケート史上初の完全な4A(4回転アクセル)を期待しつつ、私の脳裏には転倒シーンが何度も流れてしまうという、記者としてとても複雑な心境だった。
最終的に待ち受けていたのは後者だった。
実は羽生はウォームアップで最後に試した1回でも転倒していた。そして本番の演技が始まり、最初のジャンプで全力で離氷したが、結果は転倒。
しかし彼はすぐに身を翻し優雅に立ち上がって引き続き演技に集中した。しかし次の4回転ジャンプで羽生結弦は再び転倒…
その時私のそばには1人の日本人カメラマンがいた。彼は羽生結弦のこの試合での決定的瞬間を一心に記録し、そして何度もため息をついた。
その連続のため息に込められた思いを読み取るのは難しいことではなかった。
残念なことに、私たちは北京の氷の上で完璧な4Aを見ることができなかった。そして今後のフリースケーティングの舞台において羽生結弦が人類「初」を完成させるのを見ることはできないかも知れない。
「本当に申し訳ないです。」試合後のミックスゾーンの通路の一角は100人近い日本や中国の記者で埋め尽くされた。私もその中の1人だった。
1時間半ほど待って始まった試合後の取材で、羽生結弦がその場にいたのは十数分だけだったが、幾つかの短い質疑の中で最も私の印象に残ったのは彼の礼儀正しさと、謙虚さ、行き届いた気配りだった。
「一生懸命頑張りました。報われない努力だったかもしれないですけど、でも…。一生懸命頑張りました。」試合後のこの言葉から誰もが羽生結弦の落胆と満足できない気持ちを感じ取れた。
実際は彼はもっと簡単なやり方でこの北京オリンピックに参加することができた筈だ。しかし彼は1番険しい道を選んだのだ。
ミックスゾーンを立ち去る時、羽生結弦は全ての記者に深々と頭を下げた。その時、彼はまだ自分の感情の中から抜け出すことができていないようで、目はまだ少し潤んでいた…
このフリースケーティング後の取材で、多くの記者は物足りなさを感じていた。記者だけではなくファンも、みんな羽生結弦に聞きたいことが沢山あっただろう。そのためか、彼のチームはオリンピック期間中に記者会見を行うことを決めた。
かくして、私はもう一度近くで彼を見る機会を得た。
その記者会見が始まる30分前には、その時間仕事の割当がないボランティアや、職員、取材待ちの記者が北京オリンピックメインプレスセンターを取り囲み、身動きもできないほどになっていた。
全く大袈裟ではなく、北京オリンピックメインプレスセンターがオープンして以来、これに匹敵する賑やかな光景が見られたのはあのビンドゥンドゥンのグッズ発売の時だけだ。
その時、私の近くにいた2人の学生ボランティアは既に興奮して感情を抑えられない様子だった。私は好奇心から聞いた。「あなた方は何故そんなに羽生結弦が好きなんですか?」
彼女たちは言った。「私たちは2014年から羽生結弦を好きになりました。中国杯での演技が本当に情熱的で。もう長い間彼からずっとポジティブなエネルギーをもらっています。まるで漫画の主人公のような人です。」
確かに、羽生結弦があんなにも魅力的な大きな理由はそれだ。彼の一挙一動、言うこと成すことの中に情熱が見えるのだ。一人の人間がずっと力をくれ続けるなんて、現実の世界ではなかなかないことだ。
2014年のグランプリシリーズ中国杯で閻涵と衝突した後、頭に包帯を巻いてでも出場を貫いたり、「一生懸命」(「一生をかける」と言う意味)という言葉でフィギュアスケートへの姿勢を表現したり、氷を神様や友達のように扱い、離れる前には口づけをしたり…
彼はまさに日本の熱血漫画の主人公のようにいつも純粋さと固い意志を持ち努力を続けている。
記者会見の場を立ち去る前、羽生結弦は再び全ての人に向かって深々と頭を下げた。一度の記者会見で彼は合計6、7回頭を下げ、そして慎み深く立ち去った。
しかもレンズに写るところだけではない。彼はブースの中の同時通訳者にも頭を下げたのだ。
北京オリンピックで数えるほどだが羽生結弦に近距離で「接触」する機会があって以来、私は羽生結弦の動向に注目するようになった。私はまだ羽生結弦のファンとは言えないのだが、私は彼の人間的な魅力に間違いなく心を動かされた。更に言えばあの冬の日、私は暖かい感動を受け取った。
これからの日々、羽生結弦は2度と競技の舞台に現れないのかも知れない。しかし彼は氷の上に留まり、彼ならではのやり方で、人生への前向きな姿勢を見せ続けてくれるだろう。
羽生結弦とスケートの「一生懸命」な絆は容易く断ち切れるはずが無い。彼はきっと一生スケートに夢中だ。