kuppykuppy’s diary

中国語で書かれた羽生結弦選手関連の文章を色々と翻訳しています。速報性皆無のマイペース素人翻訳ですが、よろしければお読み頂ければ嬉しいです。 Twitter:@kuppykuppy2020

百度に掲載のコラム「羽生結弦 夢を追う人 夢を創る人」

前回と同じ方によるプロローグ横浜公演に関するコラムです。今回も教養溢れる素敵な文章。

途中に引用されている荘子の作品も深いです。

 

北京オリンピックフリースケーティング。あの決意に満ちた挑戦の後、羽生結弦がインタビューで何度も触れたのは9歳の自分のことでした。あの勇敢で何も恐れない、4Aの挑戦で氷に倒れ込んだ自分を助け起こした9歳の小さな羽生。


2022年2月、北京オリンピックが終わった後、私はコラムを一本書きました。タイトルは「羽生結弦:夢を追う純粋な心」。誠実で勇敢。わがままで負けず嫌い。私は思います。9歳の時も27歳の時も、彼はずっとひたすらに突き進み、孤独に闘い夢を追い求めて来た人だと。


北京オリンピックの9ヶ月後、競技の場を去ったもののリンクからは去らなかった羽生結弦は、夢を追う人から夢を創る人になりました。

 

羽生結弦がプロアスリートへの転向を発表した記者会見で言っていた通り、彼のフィギュアスケート人生の第二幕が始まります。史上例のないワンマンアイスショーはまさに彼が選んだ新しいプロローグの幕開けにふさわしいものでした。


「プロローグ」がスタートする前、多くの人が思いました。きっと素晴らしいショーになると。しかし、ここまで素晴らしいとは誰にも想像できませんでした。

 

究極のロマンティスト羽生結弦がファンのために作り出したのは単なるアイスショーではなく、この上なくロマンティックなこの世の夢の世界でした。

 

これは「夢」ですよね。あなたは羽生結弦の「プロローグ」以外のショーで会場のライトを全て灯し、6分間練習を行い、試合と同じようにコールされ、試合とほぼ同じジャンプ構成でプログラムを演じるのを見たことがあるでしょうか?


これはまさしく「夢」の中でしか見られない光景。1回のアイスショーでで27歳の、もうすぐ28歳になる羽生結弦ビールマンを3度も見せてくれるなんて…


これは間違いなく「夢」としか言いようがありません。かつて数え切れない人たちの心の扉を押し開けた「憧れ」の少年ロミオが大画面の中で叫び、プロローグの時空の扉からはあの時のコスチュームを纏った27歳の羽生結弦が滑り出して来ました。全てが変わったけれど、何一つ変わっていなくもある。それはあの頃から今なお続く感動…


もちろんこれらも、クライマックスを飾った『いつか終わる夢』『春よ、来い』の2つのプログラムの夢幻の世界には及ばなかったかも知れません。ショーが終わってまる1週間が経った後も、ほとんどの人はまだ理解できないでいるでしょう。彼が一体どうしてこんなことを成し遂げられたのか。

 

リンクは真っ暗になり、彼は光に従って氷の上を動いていました。それとも、光が彼に従って動いていたのかも知れません。北の果ての暗き海に魚あり。その名は鯤(クン)。鯤(クン)の大きさたるや幾千里なるかを知らず。鳥と化せば、その名は鵬(ホウ)となる。鵬(ホウ)の背たるや幾千里なるかを知らず。(訳者注:「北の果ての暗き海に…」は庄子の作品「逍遥遊」の冒頭からの引用のようです。この鵬は何千里も上空に昇り南の果ての海まで飛びますが、蝉や鳩はそんなに飛んで一体何になるのかと嗤います。世俗に生きる者には何にも縛られない自由な世界にいる、全てを超越した者の生き方は理解できないのだ、と言うことがその続きに書かれています。)深海にいる人魚の足元まで届いたあの水の流れ。肌寒い春風の中で終に綻んだあの桜の花。それはフィギュアスケートだったのでしょうか?それとも芸術?一幅の絵画?それとも流れ行く、言葉では表せない、夢の中で見た夢?

 

「魂とともに舞っていたり、歌っていたり、感情を表現していたり、本当に幻想的な風景の中で水中にいたりっていうシーン」。羽生結弦は『いつか終わる夢』と『春よ、来い』の最後の場面についてこのように描写しましたが、それはまさに私たちが感じ取ったものと同じでした。

 

人が魂の全てを込めて氷上で舞う時、氷そのものに魂が宿ります。天と地の大いなるを知りし者、草木の青さを慈しむ。私たちは羽生結弦がいつも語っている「羽生結弦フィギュアスケートを全うしたい」という言葉の意味をやっと理解したのです。

 

それはこれまでのフィギュアスケートとは全く違う別のカテゴリーの、真に技術と芸術が合わさった新しい表現の形でした。彼はずっとわがままに自分の夢を追い求めて来ました。ショーの最後に誰もが涙したVTR『サザンカ』にあった通りに。映像の中の羽生結弦は小さい頃からひたすら夢を追い求め、何度も何度も転び、怪我をし、傷付いて来ました。しかしどれだけ傷だらけになったとしても、また立ち上がることさえできるなら物語は続いて行くでしょう。


物語は確かに続いています。

 

2月の北京の冷たい春風は11月の晩秋になって終にこの上なく美しい桜の花を咲かせました。かつて必死で掴み取ろうとしたあの光は今、羽生結弦の手の中にあります。「(まずはこのプロローグを毎日毎日、成功させるために努力していったこととか、きょうはきょうで、一つ一つのジャンプや演技に集中していたこととかが)積み重なっていって、また新たな羽生結弦というステージにつながっていったり。それが積み重なっていくことで、新たな自分の基盤ができていったりもすると思うので、いまできることを目いっぱいやって、フィギュアスケートの限界を超えていけるようにしたいという気持ちでいます。それが、これからの僕の物語として、あったらいいなって思います」


かつて懸命に夢を追いかけていたあの少年は数え切れない人のために夢を創るフィギュアスケートの神様になりました。

 

でも羽生結弦が夢を創る人になったなら、その夢は手の届かないようなものなのでしょうか?

 

最後の曲が終わると、フィギュアスケートの神様はシンプルなTシャツ姿で戻って来て、アンコールの『パリの散歩道』を演じました。屈託のない少年の姿で。そして格好をつける仕草の時には以前と同じように少しはにかんだ表情。最後の最後、笑顔でその場を去り、再び開いた「序章の扉」を象徴するかのように、これまでと同じく全ての観客に向かって「ありがとうございました」と叫んだのです!

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これを見て私は思い出したのは2015年、20歳になったばかりの羽生結弦がドキュメンタリーの中で語った「わがままであり、頑固であり、負けず嫌いでありたいなと。」「しっかりと(大人になったよって)胸を張れるような人間になりたい。」という言葉です。

 

ほら、7年経っても変わっていません。夢を追うのも夢を創るのもやはり彼なんです!そんな羽生結弦は自分のことを「幸せです」と言いました。

 

そして幸運にもそんな彼を見守ることのできる私たちはもっと幸せでなのてはないでしょうか。