kuppykuppy’s diary

中国語で書かれた羽生結弦選手関連の文章を色々と翻訳しています。速報性皆無のマイペース素人翻訳ですが、よろしければお読み頂ければ嬉しいです。 Twitter:@kuppykuppy2020

鳳凰網体育の記事「羽生結弦のために、私はスポーツ編集者になりました」

鳳凰網体育のインターン編集者さんによる記事です。

北京オリンピックの会場で待っていたけど、羽生選手の姿を見ることができなかった筆者を含めた3人のファン。みんなの純粋でキラキラした思いに触れて暖かい気持ちになりました。

そして羽生選手は国籍に関係なく本当に沢山の人を幸せにしているんだなと改めて。

今回は残念でしたが、3人ともいつか現地でご本人に会えますように!

 

文 | 鳳凰網体育(フェニックススポーツ) インターン編集者 大剛

 

「これまでの人生の中で一番、皆様の応援をいただけたと思える試合でした。どんな状況でも、私のような人間にたくさんの応援をしていただき、本当にありがとうございました。努力と結果の意味や、価値について、深く考えさせられる、これからの人生にとっても、大切な時間になりました。」

 

——羽生結弦

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▎2月20日北京冬季オリンピックフィギュアスケート エキシビション

 


私はきっと最も不運な編集者の一人でしょう。アスリートを乗せた車輌が首都体育館に出入りするための大きなゲートは2つだけ。羽生結弦がどちらから出て来るかは50パーセントの確率です。私は4回行って毎回もれなく彼が来ない方のゲートを引き当てました……。親切な同僚たちが計算してくれました。4回行って全部がハズレになる確率——6.25%!でも羽生結弦には会えなかったものの、そのおかげで私は羽生の中国のファンの人たちと近距離で交流することができました。

 

 

 

仏教徒の人は「人を渡す」「己が渡る」と言います。私の好きな偉大なアスリートが自分が譲ることのできない志と信念を持ち続け、成功の眩い光の中でも全く惑わされることなく、このような方法で「渡る」ことを選んだことがとても嬉しいです。 

——Kerr

 

「蔡さんは世界一の彼氏!」

 

20日エキシビションが終わる前に私は首都体育館の南ゲート前に着きました。遠くに羽生結弦の姿がプリントされた巨大なパネルを掲げた若いお姉さんが見えます。彼女は一眼レフを持って自分の写真を撮っていた男性に向かってそう叫んでいたのです!

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羽生結弦の巨大パネルを持つKerr

 

Kerrの羽生結弦への思いは、全くもってあのフレーズの通りです。——容姿に惹かれ、人柄について行く。

 

「客観的に見ると羽生は物凄いイケメンというタイプではないかも知れないけれど、ついつい何度も見たくなってしまうんです。まさに『氷上の貴公子』。そして私が一番惹かれるのが、彼のフィギュアスケートに対する思い、骨身に刻まれたフィギュアスケートへの愛、完璧と言える芸術的表現力です。友達と冗談で、柚子の芸術に対する理解はもう採点の審判を上回っているよねと話しています。」

 

2018年2月の平昌冬季オリンピックで、羽生結弦は総合得点317.85点で男子フィギュアスケートシングル種目で優勝。フィギュアスケート男子シングルの選手として66年ぶりの冬季オリンピック連覇を果たし、数えきれない人たちの心を動かしました。Kerrもその中の一人でした。

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2018年平昌オリンピックでの羽生結弦

 

「平昌オリンピックの「陰陽師」の晴明様が、私の一番好きな演技です。(それと今回の天と地と)芸術的表現に欠点が見つかりません。もしあるとしてもそれは演技の一部分です。月には暗い時と明るい時、満ちている時と欠けている時がありますから。

 

彼女が言葉からわかるように、中国人は根っからロマンチストで、心の中に秘めた思いを持っています。陳滢による羽生結弦の解説が大人気な理由もそこにあるのでしょう。私たちは努力する勤勉な人が好きで、羽生はまさにそのイメージそのものなのです。

 

「今回彼が試合のために北京に来ると知って、彼が到着する前からずっと楽しみにしていました。嬉しかったのは、彼の試合を見られるからではなく、彼が我が国の大会に来て私が住む街で演技をして、おまけに半月以上も滞在することがわかったからでした。それからの日々はまるで春の遠足のお知らせをもらった小学生みたいに、毎日が期待でいっぱいでした。

 

Kerrが他のファンと違っていたのは、彼女は1人で会場に来たのではなく、隣には彼女に一途なボーイフレンドがいたことです。

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▎Kerrとボーイフレンド

 

「私は羽生の試合の期間は毎日インターネットを注視しますし、2月14日のバレンタインデーの夜でさえ羽生結弦の動画を見ているので、間違いなく彼はやきもちを焼いています。でも私が羽生の過去の試合の動画を勧めると、彼も羽生の演技に深く感動したんです。」

 

最初Kerrは現地に羽生を応援に来ようとは考えていなかったのですが、ボーイフレンドの蔡さんがどうしても彼女を首都体育館に連れて行ってやりたいと思い、彼女のためにわざわざ画像をアレンジして大きな羽生結弦パネルまで作ってくれたのです。パネルは大きすぎてバイク便のお兄さんには預かりを拒否されました。すると、この蔡さんはオンラインの配車サービスで車をチャーターしました。運転手さんは羽生のパネルを持って北京第三環状道路をほぼ一回りして首都体育館まで走り、パネルをKerrの手に届けてくれました。

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▎人混みの中でパネルを掲げるKerr

 

でも、結局私たちはゲートの選択を誤っていて、羽生はもう一つのゲート(西北ゲート)から出て行ってしまいました……。その場にいたファンはみんな茫然となりました。Kerrも例外ではありません。彼女はボーイフレンドの蔡さんと手を繋いで西北ゲートの方に向かいました。道中、蔡さんは慰めるような目で彼女を見ていました。確かな答えを求めるかのように、Kerrが警備のお兄さんに羽生は本当に出て行ったのかと確認すると、お兄さんは言いました。「行ったよ、ここにいた沢山の人たちが彼を見送ったよ!」見送られて出て行ったと聞いて、Kerrの心は少し癒されました。

 

「羽生のこの度の北京オリンピック出場に感謝しています。こんなにも沢山の人が彼のことを好きで、彼はそれに値する人です。羽生にとって全てが順調でありますように!羽生を好きな人たちが毎日幸せでありますように!そして私の彼氏蔡さんにもう一度感謝!」

 

 

 

彼が4Aを跳ぶことができなくても、彼が私の心の中の光であることに変わりはありません。ファンたちが彼に言う「You are the light」という言葉の通り、彼は光なのです!

——光姉さん

 

光姉さんに出会ったのは2月10日、フィギュアスケート男子フリーの当日でした。羽生結弦は大きな期待を寄せられていた4Aを完成させ切ることはできませんでした。何度も考えた末に、私は光姉さんに羽生が4Aを完成させられなかったのを見てどんな気持ちなのかを聞いてみることにしました。実は私は彼女が「残念」と言う趣旨の返答をすると思っていたのですが、彼女の答えの中に「残念」はなかったばかりか、「希望」が満ちていました。

 

「彼が今回来られて、自分の一番いいもの見せることができたことにとても感動しました。彼は光です!どこに行こうとも彼が放つ光を遮ることはできません。」

 

この答えを聞いて私はちょっと恥ずかしくなりました。そして光姉さんと比べると私は器が小さいなと思いました。

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羽生結弦はエキシビジョンの演技で氷に口付けをした

 

光姉さんが羽生を好きになった2016年から今で6年。彼女の中では羽生を知ることができたこと自体が幸せなことです。千人の人の心の中に千人のハムレットがいるように、一人一人のファンから見える羽生結弦もそれぞれ違います。光姉さんが見ている羽生はいつも情熱に満ち溢れていて、絶えず自分を超えていき、負けることが大嫌い。彼のそんなところが彼女にいつも元気をくれています。

 

光姉さんに目が行ったのは、彼女が首都体育館の前で小学生の娘さんを連れて羽生を待っていたからです。その時私の頭をよぎったのは賀峻霖(時代少年団のメンバー)のお母さんが彼を連れてスターの馬天宇(歌手、俳優)追いかけている場面でした。子供連れでスターを追いかける現実の場面を見るのは本当に初めてでした。

 

「彼女は割と私のことを理解してくれています。彼女に言ってたんです。今日は私に付き合ってくれたから、あなたに好きな人ができた時には、ママが絶対一緒に見に行ってあげるからねと。」

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北京冬季オリンピックエキシビジョンの群舞の一幕

 

どうして彼女を光姉さんと呼ぶかですか?あの日話した時間はそれほど長くなかったので、彼女の名前を聞けませんでした。でも何か名前をつけないと。私の心にすぐさま浮かんだのが「光」という文字でした。羽生は光姉さんの「光」。そして光姉さんが私と話している時、光姉さんの目の中には「光」が瞬いていました。だからこそ、光姉さんは「光」を娘さんに伝え、追い続ける価値があるのはどんな「光」なのかを教えたいのでしょう。私は、それこそが光姉さんが娘さんを連れて「光」を追いかけることを選んでいる理由なんだろうなあと思いました。

 

 

 

2020年には私は大学四年生!絶対にすごい若手記者になって、絶対に彼にインタビューするんだ!

——2016年の大剛

 

私は編集者であり、何の変哲もない一ファンです。

 

2016年、フィギュアスケートを題材にしたアニメが人気となりました。そのアニメが好きになった私は関連情報の検索を開始しました。そして当時そのモデルだろうとの声が一番高かった人物——羽生結弦に興味を惹かれました(しかし、そのアニメのモデルは誰なのか公式の解答は今も出ていません)。

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2014年、頭に包帯を巻いて試合に出場した羽生結弦

 

検索で一番最初に見つけたのはファンにとって一番辛い「オペラ座の怪人」でした。あの時、試合前の6分間練習で中国人選手の閻涵と衝突し、2人とも深刻な怪我をしましたが、彼らは何と2人とも試合に出ることを選びました。羽生は頭に包帯を巻き、8回ジャンプして5回転倒しました!転倒したとはいえ、何と3lo以外の全てのジャンプの回転数は足りていたのです。最後に転倒した時、彼はもう立ち上がるのがやっとでした。一挙一動が見る人の心を揺さぶりました。包帯が緩み、頭にじわじわと血が滲んでオペラ座のファントム」は既に「流血のファントム」になっていましたが、彼は気にしていないようでした……

 

私は思います。彼を好きになったことに何か特別な理由があった訳ではありません。ただ彼からとても強い力を感じたんです。彼は自伝の中で書いています。「僕が精一杯演技する姿を見て、少しでも前を向いていく勇気になれればと願っています。」断言できます。私はその力を受け取って、前に進み続けていると。

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羽生結弦が自伝の中でファンに宛てて書いた言葉

 

一人で楽しむよりもみんなで楽しむ方がいい。私は周りの友達に布教を始めました。結果、休み時間のたびに女子高生たちが、昨日の夜も彼のあのプログラムを見たんだとか、彼の情報を見つけたとか、情報交換をし合うようになりました。2022年に冬季オリンピックが北京で開催されることが分かると、みんなで毎日6年後のことを空想する日々が始まりました。

 

「2022年には大学4年!絶対に凄い若手記者になって絶対に彼にインタビューするんだ!」

 

「みんなでチケットを買って彼を見に行こうね!」

 

「うんうん!最前列に座りたい!!袋いっぱいのプーを持って行って演技が終わったら全部投げよう!」

 

……

 

そんなことを話しても何にもならないとは言え、あの頃の私たちはずっとそんな話をして休み時間を過ごしていました。高校卒業後、私はジャーナリズム関連の専攻に無事合格しました。でも卒業してしまうと、一緒に試合を見ようと話していた仲間たちは散り散りになってしまいました。おまけに突然襲ってきたコロナ禍。もう本当にどうしようもなくなってしまいました。それでも、凄い記者になって彼にインタビューするという私の思いは揺らぎませんでした。

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北京冬季オリンピック男子ショートプログラムでの羽生結弦

 

ですので、私はひたすら資料を検索し、方法を探しました。直接インタビューできる望みがないことがわかった時、少し妥協して考えたのは、彼に関する記事を何か書けるだけでも、6年間の望みが叶ったと言えるのではないかということでした。

 

私は成功しました。フェニックスネットの冬季オリンピックインターンになることに成功し、6年間楽しみにしていた16日間を過ごすことに成功したのです。羽生には一度も会えませんでしたが、彼が中国の熱い気持ちを感じてくれたことはわかりました。試合後のインタビューで羽生結弦北京オリンピックの旅を「宝物の時間」だったと表現しました。私にとってもこの1ヶ月余りの時間は「宝物の時間」でした。これまでの22年に体験したことのない経験で、一生忘れられない経験になるでしょう。

 

羽生結弦選手、次の機会に会いましょうね!