kuppykuppy’s diary

中国語で書かれた羽生結弦選手関連の文章を色々と翻訳しています。速報性皆無のマイペース素人翻訳ですが、よろしければお読み頂ければ嬉しいです。 Twitter:@kuppykuppy2020

鳳凰網体育の記事「羽生結弦の通訳をした中国人の女の子」

北京オリンピックの羽生選手の記者会見で中英同時通訳を担当した25歳の中国人女性についての記事です。

既に訳して紹介して下さってた方がいらっしゃったと思いますが、全文を日本語訳しました。

 

通訳のような仕事をしていた若かりし頃の思い出が甦って懐かしくなったのもありますが、何と言ってもスポーツに特に興味が無かったという通訳さんの心を動かした羽生選手の会見での姿。

訳しながら涙が出ました。

 

鳳凰網体育(フェニックスネットスポーツ)「家凰看台」出品

文|鳳凰網体育(フェニックスネットスポーツ)ベテラン解説者 豊臻

 

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羽生結弦の記者会見の同時通訳者 李文瑨

 

これは平凡な物語だ。しかし、それほど平凡というわけでもない。

 

2月14日に羽生結弦のあの異例の会見が開かれるまで、中英同時通訳者の李文瑨は思ってもいなかった。こんなにも多くの人たちが「小さな黒い部屋」にいる彼女の声を聞くことになろうとは。彼女は、いささか落胆して失望した元気のない語気で訳した。羽生結弦が落胆して失望して元気なく言ったあの言葉を。「我还是想做4A。」(訳者注「4回転半降りたいなという気持ちはもちろん少なからずあって…」の部分かと思います。)

 

それは北京冬季オリンピックのメインプレスルームのメディア席の右側に並ぶ黒い小部屋。彼女は同僚と二人、その中の一つの部屋で中英同時通訳——八種類の言語の同時通訳のうちの一種類を担当していた。これまでのオリンピックでは同時通訳者が記者の視野に入ることはなかった。しかし北京冬季オリンピック組織委員会は小さな黒い部屋を会場に設置し、しかも窓を設けていた。

 

窓はかなり大きい。通訳者はそこから防音ガラスを通して、取材を受ける人の表情や身振り手振りをはっきりと見ることができる。それは情報と感情を構成する大切な要素だ。

     

北京冬季オリンピックのその集まりの、小さな黒い部屋の中の通訳者は世界の各地から来ていた。81歳のスイスのお爺さんもいれば60歳のイタリアのおばさんもいて、25歳の中国のお嬢さんもいる。李文瑨はそのお嬢さんだった。

 

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小さな黒い部屋の中の61歳のロシア人通訳者

 

これは彼女が修士課程を卒業して初めてついた職業だ。記者が質問する時や受け手が回答する時に話す英語や中国語を同時通訳する。

 

通常であれば、彼女の声を聞くのは同時通訳用のイヤホンをつけた会場の記者だけだ。しかし羽生結弦のこの会見には一つ「意外」な点があった。

 

熱狂的な中国のファンたちが会見を心待ちにしていた。メディア側もそのアクセス量を予測していたので、彼らは様々なおかしな経路を使って、ライブ配信する方法を探し当てていたのだ。これはオリンピック組織委員会の公式会見ではなく、羽生結弦側が独自に開いた記者会見なので、バブル外にいるメディアは現地映像の版権についてそれほど気にせずにに済んだ。

 

かくして、李文瑨の落ち着いた穏やかな、しかし気持ちのこもった声はインターネットの隅々まで伝わった。

 

この会見の本当に特殊な点が何なのか、多くの人は気づかなかっただろうが、李文瑨は始まってすぐに気づいた。彼女はこれまでに30回以上の各種の会見を経験してきた。アスリートの隣には通常、広報担当者が座る。ご承知のように、それは一見付き添いのようで、実はある意味護衛だ。しかし羽生結弦は一人で演台に上がった。隣には誰もいない。

 

演台には15の座席がある。羽生結弦はその中央に座った。孤独で、がらんとしている。まるで彼がリンクにいる時と同じだった。

 

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羽生結弦は一人、記者たちの質問を受けた

 

「その時私は少し驚きました。それは冬季オリンピックの記者会見の中で、一番記者が多い会見であり、壇上にいる人が一番少ない会見でした。私は不意に感動を覚えました。羽生結弦の誠意を感じました。彼はまるで何の防御もせずに全ての人の前に出てきたかのようでした。」李文瑨は言った。


同時通訳者として、李文瑨はどうしても独自の視点からオリンピックを見ることになる。彼女が立ち会ってきたのは、アスリートが試合後に世界中のメディアと「やり合う」ところ。彼女は、アスリートの言葉の中に込められた感情、情報をできるだけ正確に伝えなければならない。それらの情報はおそらく全てのメディアに掲載されることになる。「人民日報」、「ニューヨークタイムズ」、「読売新聞」……

 

李文瑨は大学で英語を専攻し、修士課程は翻訳通訳の専科を受験した。中山大学で翻訳を学ぶか中南林業科学技術大学で通訳を学ぶかのうち、彼女は後者を選んだ。彼女は翻訳や通訳の何に魅力を感じたのだろうか。彼女は言う。 “curiosity killed the cat”、この俗語は何と「好奇心が猫を殺した」と直訳できる上、誰にでも理解してもらえる。何だか不思議なのだと。

 

中国の通訳者たちは仕事において、今なお「信、達、雅」の三文字の原則を信奉している。それは100年以上前の厳複の訳書「天演論」の前書きに書かれた金科玉条だ。李文瑨は言う。「信とは基本的な情報を正確に伝えねばならないということ、達とはスムーズでわかりやすくあらねばならないということ。雅は更に難しいです。オリンピックの、このような同時通訳の場では『達』を実現することすら簡単なことではありませんから。」

 

羽生結弦の会見の前に、彼女にとって印象深い会見が二度あった。一つは中国のスピードスケート選手任子威の会見、もう一つは韓国の選手ファン・デボンの会見だ。

 

男子ショートトラック1000メートル決勝戦の後のプレスルーム。優勝した任子威に、ある記者が両親に何を言いたいかと尋ね、任子威は答えた。「何も言うことはありません。オリンピックの競技はまだ終わっていません。」

 

任子威のその質疑は李文瑨と同じ小さな黒い部屋にいた同僚の男性通訳者が訳した。彼女たちの仕事は分担制になっていて、二人は15分ごとに一度交替していた。

 

「その答えを聞いた時、私は少し困惑してしまいました。ある意味本心からの答えですが、答えになっていないようでもあり、うまく訳さないと彼が質問を適当にあしらったかのような誤解を与えてしまう可能性がありました。」しかし彼女の同僚には、インタビューの受け手が話したことが適切かどうかを考えている時間はない。同時通訳の仕事は即座にその内容を訳さねばならないのだ。

 

任子威は自分の回答が少しまずかったと思ったのか、すぐに付け加えた。「私の父は兵士で、私は小さい頃から軍隊の住宅で育ちました。もしショートトラックをやっていなかったなら、きっと私も兵士になっていたでしょう。スポーツは平和な時代における戦争ですよね。私も銃を担いで突撃していると言えるでしょう。親の仕事を子が継いだようなものです。」

 

その言葉には、おそらく大部分の中国人アスリートのスポーツに対する価値観が込められていたと言えるだろう。興味深いのは李文瑨の同僚が「戦争」と「銃を担ぐ」という単語を直接訳さず、それでも「親の仕事を子が継ぐ」の意味を明確に表現したことだ。オリンピックのモットーの中には「更なる団結」が加えられたばかり。おそらく戦争や銃は歓迎されないだろうから。

 

通訳者も人間だ。気持ちが偏ることは避けられない。ホームグラウンドで戦う中国人通訳者なら尚更だ。アスリートをより理解するため、通訳者にとってはあらかじめ試合のライブ配信を見ることが必要不可欠だ。李文瑨は言った。こんなにも沢山、中韓ショートトラックの試合を見てきて、自分の見方にバイアスがかからないようにするのはとても難しいと。彼女が自分がファン・デボンの試合後の会見の同時通訳を担当すると知った時、最初に思ったのは「あ、あの人だ。」ということだった。

 

しかし幼稚な感情をこの厳粛な仕事に持ち込むわけにはいかない。むしろ、彼女と同僚は十分な慎重さを保った。それはファン・デボンが反則と判定された男子ショートトラック1000メートルの準決勝戦が終わった後の会見だった。ファン・デボンの韓国語は、まず英語に訳された。その中のワンフレーズが“I didn’t have a clean game.”だった。李文瑨の同僚は中英同時通訳の際、このフレーズを訳さなかった。

 

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▎李文瑨と彼女の同僚

 

記者会見が終わった後、二人はこの件について話し合った。同僚の見解によると、そのフレーズが何を意味するのか確信は持てないが、ファン・デボンは自分の試合中のプレーがクリーンでなかったという意味で言ったのではないかと。しかし李文瑨は、ファン・デボンは審判の不公平さを非難し、自分はクリーンだと言いたかったのではないかという方に傾いていた。彼女たちはこのフレーズの意味について、韓英同時通訳担当の同僚と討論したが、その同僚もどちらとも言えないようだった。三人ともがファン・デボンの発した言葉の意味にはっきりとした確信が持てなかったのだ。

 

これは理解できる気がする。そもそも「クリーン」という言葉自体に幅広い解釈の余地がある上に、このフレーズの主語もはっきりしない。もしも中国人のアスリートが「私の今回の試合はちょっとクリーンではなかった。」と言ったとしても、一体どういう意味かを断定するのは難しいだろう。 

 

「訳さないことは残念ではありましたが、最良の選択でもありました。先輩が私たちに話してくれたことがあります。通訳とは永遠に欠陥の存在する芸術なのだと。」李文瑨は言った。

 

小さい頃から今まで、李文瑨は決してスポーツファンだとは言えなかった。北京冬季オリンピックの仕事に参加したことで、彼女に初めて少し好きだと思えるアスリートができた。中国の武大靖だ。しかし羽生結弦のその会見は彼女に競技の範疇をはるかに超越したところにあるオリンピックの魅力を感じさせてくれた。

 

その午後、記者たちは30分前からプレスルームを埋め尽くしていた。羽生結弦は入ってくると、まずは全ての人に向かって深々とお辞儀をし、一人で演台に上がった。演台の下にいる広報担当者が、挙手をして質問を始めて良いと説明すると、真っ先に羽生結弦が自ら手を挙げ、まず話をさせてほしいと申し出た。仕事の様々なプロセスについて既に熟知している李文瑨は、問題なくこれに対応することができた。しかし彼女は防音ガラス越しのプレスルームから、これまでに感じたことのないある種の厳かな空気を感じた。

 

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ガラス越しに羽生結弦の表情と仕草がはっきり見えた

 

羽生結弦北京冬季オリンピックで唯一、8種の同時通訳が付いたアスリートだった。羽生結弦に勝ったフィギュアスケート金メダリストのネイサン・チェンですら、付けた通訳は5種だけだった。

 

35分間のインタビューで、羽生結弦は一つ一つの質問にとても真摯に応えた。彼の受け答えは的確で、心に響くものであった。「とても驚きました。彼は本当に誠実でした。私は自然と彼の言葉と感情の中に引き込まれていました。」同時通訳の声を聞いていると、4Aを完成させられなかった自分を慰めながらも、やはりどうしても納得できない人物はまるで彼女自身かのようだった。

 

インタビューが終わって羽生結弦が立ち上がり、座っている報道記者に深々とお辞儀をした時、ライブ中継の画面は既に切断されていた。同時通訳者たちも仕事は終了したと思っていたが、何と羽生結弦は再びマイクを手に取り、小さな黒い部屋に視線を向けて言ったのだ。「通訳の方も、ありがとうございました。」そしてもう一度お辞儀をした。

 

李文瑨は言う。「全く思いもよりませんでした。彼の通訳者への感謝の言葉を訳し終えると、私は堪え切れずに泣いてしまいました。もともとはその男の子にそれほど興味があったわけでは無かったのに。」

 

退場の際には同時通訳はもう必要ない。羽生結弦は全部で5回お辞儀をした。4回は集まっている人たちに向かって。最後の1回は壇上から降りた後にオリンピックの旗に身体を向けて。李文瑨に最後のお辞儀は見えなかった。撮影記者や現場のスタッフが一斉に押し寄せて小さな黒い部屋からの視界は遮られてしまったから。

 

彼女はきっとこの記者会見を永遠に忘れないだろう。それは人類で初めて4Aに挑み、失敗した会見。しかし羽生結弦の小さな宇宙はまだ燃えるように熱い。

 

冬季オリンピックでの経験は李文瑨のスポーツへの思いを作った。「今、思います。スポーツはみんなを団結させることができると。任子威、ファン・デボン、羽生結弦、みんな同じだと思うんです。アスリートは競技場では成績を争っているけれど、みんな一緒に一つのことをしているんです。それはスポーツというもので、人の心を動かすこと。」

 

 3月の冬季パラリンピックが終われば、李文瑨の2年にわたる北京オリンピック組織委員会での体験は終わる。彼女が北京に残るのか、どこかで別の仕事を始めるのかは自分にもまだわからない。しかし彼女は、隣の小さな黒い部屋にいたあの60過ぎのイタリアのおばさんはとてもいいことを言っていたなと思っている。「私はもう40年やってきたけど、まだ続けたいと思っているの。通訳という仕事は毎日新しいことを学べるだけでなく、世界を繋ぐために頑張ることができるから。」

 

おかげで通訳者李文瑨は気付いた。「信、達、雅」が目指す究極の目標。それはまさにオリンピックのモットーの中にある「together」だったのだと。