kuppykuppy’s diary

中国語で書かれた羽生結弦選手関連の文章を色々と翻訳しています。速報性皆無のマイペース素人翻訳ですが、よろしければお読み頂ければ嬉しいです。 Twitter:@kuppykuppy2020

百度に掲載されたRE_PRAYの感想コラム 「夢を創る人 羽生結弦は偉大なアーティスト」

私が現地で見られたのは埼玉の1公演だけですが、RE_PRAYが大好きで何度も何度も録画を見ています。

いつも素敵なコラムを書いてくださる抻面鸡架yuzuさんのRE_PRAY埼玉公演の感想を日本語訳させていただきました。


(最初に言っておきます。今日のこのコラムではそれぞれのプログラムの内容や意義の分析はしていません。ただ私自身が2日間に渡りRE_PRAYを見た後の個人的な感想を述べているだけです。)

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 とても不思議なことに、羽生結弦と彼のスケートは、見れば見るほど、理解すればするほど、どのように書けば良いのかわからなくなってしまいます。

 

それはあまりに広大で深遠なる宇宙。あなたが少し切り拓いた、少し理解した、少し推測したと思うたびに、彼の次の登場、次の作品、次のシーズンで、彼を「理解」したという勝手な思い込みは全て打ち破られてしまうのです。

 

プロに転向して一年が経ち、これまであった縛りは既に彼の手によって砕かれ、フィギアスケート選手でありアーティストであるという羽生結弦の立場が確立されました。あなたは彼がゲームの枠組みを用いて人生を語り、世界観を説明できることに感慨を覚えつつ、次の機会に彼はきっと想像を更に超えた芸術の世界を作り上げ、皆をひれ伏させることになるであろうと期待しているでしょう。

 

これまで私たちは羽生結弦のことをずっと「フィギュアスケート選手」と呼んできました。しかし今、私は彼を偉大なるアーティスト羽生結弦と呼ぶべきだと思っています。

 

アーティスト羽生結弦

 

水晶玉をガラスが覆うかのように、白く薄いカーテンが四方にゆっくりと降りて来て、白いマントを身に着けた夢か幻のような小さな人を覆います。想像していた「ゲームをテーマにした」電子音によるオープニングではありません。羽毛が薄いとばりに映し出され、落ち、『いつか終わる夢』のメロディーが流れてきました。氷の上に生命の樹が根を張り、芽を出して、羽生結弦の『RE_PRAY』が始まります。


オープニングの時点で、既にこのアイスショーの芸術性が確立されたかのようでした。この世を超越した冷たさと俗世のロマン。スケートに根差しながらも芸術の花を開かせたパフォーマンスでした。

 

実は『RE_PRAY』のメインビジュアルが発表された時から、このような感覚は既にありました。

 

従来のような氷上のシーンではなく、従来のようななコスチュームでもなく、「スケート」に関係する要素はスケート靴だけ。はい。あなたが想像を始める前に、羽生結弦は既にあなたの想像の域を超えていたのです。

 

リンクサイドに初めて設けられた小さなステージ。小さなステージでのコンテンポラリーダンスの要素を取り入れた息を呑むようなパフォーマンス。可動式の照明、大型スクリーンに映し出される映像と氷上での演技とプロジェクションマッピングとの融合。このショーの演出のために一から作られたゲーム映像。VCRはつなぎではなく、完全な「Ice story」を紡いでいました。現代的で先鋭的なゲームミュージックを多用して構築された前半の幻想的でありつつもサイバーパンクな世界。しかし後半では優美で静謐なプログラムが夢のような幻のような仙郷を造り出し…

 

羽生結弦の『RE_PRAY』は単なるショーではありませんでした。彼が作り上げたのは正に芸術作品。私は彼が全く新しい芸術のジャンルを切り拓いたのだとさえ思っています。

 

競技者時代に「正確な技術に基づいた芸術的なスケート」を追求してきた彼が、プロ転向後に「アーティスト」としての理想に向かって邁進したいという明確な思いを持つようになるまで、たった一年余りでした。「競技者時代の羽生結弦」と「プロ転向後の羽生結弦」を比べる人たちは未だにいますが、この方は既にそんなことを超越し、更に高い芸術の領域に向かってどんどん進んでいるのです。

 

破局させる人 羽生結弦

 

そこで思い浮かぶのはこの言葉——破局させる人。

 

壊すのは自らの局面。プロ転向後の道は以前にも増して苦しいものです。

 

現役時代は得点と勝利が全てを評価する直感的な基準でした。努力して目指すものは勝利。羽生結弦が自ら「試合に出るからには“勝つことが全て”」と述べていた通りです。しかし得点という基準がなく、勝ち負けを競う相手もいない状況ではどのように評価され、どのように期待に応えるのでしょうか?そう考えると、プロ転向は決して気軽に余裕を持ってできるような選択ではないはずです。

 

他の人であれば「引退」後はコーチや振付をする傍らで時々アイスショーに出たり、芸能活動をしたり…これが一般的であり、間違いなく一番簡単で合理的な選択です。そして羽生結弦のファンですらかつて思い描いていた最も普通の「未来」でした。

 

でも私たちは忘れてしまっていました。羽生結弦は「当てられるものなら当ててみて。当てられたら自分の負け。」な人だったことを!プロに転向した最初の年、『プロローグ』がすぐに開幕しました。それは自身の競技人生を振り返り整理するようなアイスショーでした。そして東京ドームでの『GIFT』はいつでも受け取れる豪華なプレゼントとなり、『Nottestellate』は全く新しい形式のアイスショー羽生結弦のこの凄まじい勢いのプロ転向第1年目が「頂点」だったと考える人もいたところに『RE_PRAY』ツアーがやって来たのです!


彼も不安に思ったことはあったでしょう。誰も経験したことのない世界です。現役の頃、周りのほとんどの人が反対するのを押し切って高難度のジャンプや高難度の構成に挑んできたのと同じように、「頑固で負けず嫌い」な羽生結弦はプロ転向後も道を切り拓いています。

 

どうすれば「満席」にできるのか?満席にできたなら、どんな演技をすれば期待に応えられるのか?不安と恐れは人類の本能です。しかし恐怖に打ち勝ち、何度もリセットボタンを押し、人生を再スタートさせる人こそが真の勇者です。

 

再スタートし、再び祈る。人生というゲームの中では一つ一つの選択は全て再スタートを意味し、再スタートをするたびに違った結末が待っているでしょう。もう全てが終わったと思いますか?いいえ、何もかも始まったばかりです。羽生結弦がそっと教えてくれます。覚えていますか?『プロローグ』で時計が突然逆回りしたこと。「破局」はあの時に始まり、羽生結弦の新しいスケートの宇宙が開かれたのです。

 

彼は自分のスケートの芸術を用いて世界に告げます。「私がこの世界のルールだ。」

 

挑戦者羽生結弦

 

彼は依然として最高レベルで戦える状態を維持しています。このことは羽生結弦がリンクに足を踏み入れた最初の瞬間に、彼の肩、背中、脚の筋肉のラインから感じ取れます。それは来る日も来る日も、プロに転向してからも少しも怠ることなく、むしろ更に厳しいトレーニングを積んできた成果です。

 

アーティストの立場になっても挑戦者として競技に挑む魂は何も変わっていません。

 

『RE_PRAY』の最初の開催地さいたまスーパーアリーナでの2日間の公演は、両日とも9つのプログラムとアンコールの3つのプログラム+カーテンコールという構成でした。2日目はテーマであるゲームの設定の中で違った選択がされたため、『Hope & Legacy』が『阿修羅ちゃん』に置き換わりました。

 

3つの真新しいプログラムは3種類の全く新しい形を見せてくれました。

 

『鶏と蛇と豚』は照明や舞台芸術から衣装まで全てが異世界のような美学を呈していました。設置された小さなステージ、モダンダンスの要素、多用される細やかな手の動きや表情までもが融合し、人間が「貪・瞋・痴」に抗い、超越するというプログラムのテーマが見事に表現されています。

 

『Megalovania』は何とスピンのみで構成されたプログラムでした。スケート靴を究極まで駆使して、エッジと氷が「伴奏のない共演」をする全く新しい形。エッジが氷を削る音を自分の伴奏にした人が今までに他にいたでしょうか?いいえ、羽生結弦だけです。

 

前半のフィナーレを飾った『破滅への使者』は完全な「6練」から始まり、4分05秒に渡る長さの公式競技の規定時間+公式競技の構成のプログラムでした。11月5日の2日目の公演の『破滅への使者』は4S 3A2T 3Lo 4T 4T3S-1Eu-3S(訳注:正確には4S 3A2T 3Lo 4T 4Teu3Seu3S 3Aですかね?)という、驚きのジャンプ構成で、しかも完璧にcleanに演じられました。


これらの一つ一つのプログラムはそれぞれが長文で論じる価値があるものですので、ここではこれにとどめます。私が言いたいのは、これまでの「シーズン」という概念で区切るとするならば、この真新しく、ライバルは彼自身のみの「新シーズン」に、羽生結弦が打ち出したのは理念から表現の形式に至るまでが全く新しい3つの無敵の作品だったということです。

 

幾度となく「死」んで、幾度となく「再スタート」した後も、彼の挑戦者という立場は全く変わっていません。


夢を創る人羽生結弦

 

これは「夢」で始まり「夢」で終わったショーでした。そして夢を創ったのは羽生結弦でした。

 

アーティストであり人類の夢を創る使者。雑然とした世界の中で、魔法をかけ、結界を封印し、夢の星の光で満たし、希望の明かりを灯す。羽生結弦アイスショーが作り出すのは俗世とは完全に切り離された異次元の空間です。

 

魂を注いで滑る一つ一つのプログラムは魂の共鳴を起こします。


ここでは希望の樹が成長して究極の夢となり、山や海、星たちはアジアンドリームの歌を歌い上げ、ランタンが鎮魂のために灯り、夏の風は川の神が家路に向かう手助けをし、春の雨の後には桜の花が段々と綻んで夢の世界を香りで満たし…季節は静かに移ろい、時空が切り替わります。

 

そして彼は沢山の「遺恨」を晴らします。

 

さいたまスーパーアリーナでかつて永遠に忘れられない遺恨を残した『Origin』はこのたび『破滅への使者』の赤い服を纏ったラスボスに化身しました。プログラムの中に源源(訳注:Origin様の愛称)がいるはずなどないのに、誰の目にも至る所に源源の姿が見えました。


プロ転向後のショーにまだ正式に姿を現していない、北京オリンピックシーズンの無数の期待と夢が詰まった『天と地と』は、エンドロールのVTRに『いつか終わる夢』の姿で静かに現れました。

 

言うまでもなく彼は知っていたでしょう。沢山の人が当時『あの夏へ』を見られなかったこと、『春よ、来い』を見られなかったこと、『ロンド・カプリチオーソ』を見られなかったこと…だからこそ、この大集合でみんなの夢を叶えてくれたのでしょう。

 

願わくば幕が下りライトが灯された時に長い夢から醒めませんように。

 

どうか祈りが星に届きますように。

 

自由な羽生結弦

 

【自由】。自由とは何か?ショー全体を通して自由についての考察と解析がなされ、最終的には私たちに自由とは何かを理解させてくれました。

 

羽生結弦は魂の自由を手に入れたのです。

 

「自由ってなんだろうと考える機会があって、ルールがあってそこから解放された瞬間がたぶん自由なんだろうなって思っているんです。プロに転向するって決めたときからはすごく自由だったと思うんですけど、今はルールというものがなくなってしまったからこそ、自由というものをあまり感じられなくはなっています。ただ、自由は感じられないんだけど、手をつける方向がものすごく色々広がっていったので、目指す選手像とかアーティスト像みたいなものは、ものすごく大きく、より具体的に強くなったと思います。」これは羽生結弦がプロ転向後に雑誌ELLE(訳注:正しくはAERAですね。)のインタビューで述べた、自由についての考察です。長きに渡り競技の「ルール」の中で生きてきて、著名人として「期待される」という枠組みの中にいた羽生結弦が背負ってきたものは、普通の人には永遠に理解できないような重圧でした。『GIFT』で彼は勇敢に心の内を打ち明けて、迷い、苦しみ、不安や束縛に向き合いました。そして今は勇敢にそれらの「枠組み」と重圧を打ち破り、更に自由な表現を追求しているところです。

 

この【自由】を手に入れたという思いは彼の演技に表れています。

 

オープングは『いつか終わる夢』、後半のオープニングも『いつか終わる夢』でした。「RE」ピアノバージョンの。


これは『プロローグ』とは全く違う『いつか終わる夢』でした。初めて見た『いつか終わる夢』が抑圧感と苦しみを帯びたものだとするならば、『RE_PRAY』での2つのバージョンの『いつか終わる夢』は苦しみを手放し、新たな人生に向かう軽やかな夢。まるで光を追いかけ波を越える時に、過去の様々な思いを風がそっと撫でるかのようでした。手放すことを受け入れた後に氷の上に映し出された巨人にはもう重苦しさはなく、その身体からは星の光が放たれ、数えきれない愛と願いを集めています。

 

それはいつか終わる夢ではなく、決して終わらない夢でした。

 

その感覚は『春よ、来い』の演技にいっそう色濃く現れていました。羽生結弦の近年のショーの中では一番多く演じられているこのエキシビションナンバーで私たちは様々なバージョンの「桜ちゃん」を見てきました。2019年の世界選手権で思いを込めて氷に口付けをした桜ちゃんや、2022年の北京オリンピックで必死に目の前の幸せを掴み取ろうとした桜ちゃん。その桜ちゃんたちは、笑みを浮かべ、涙をたたえ、まるで春を暖めるために自らの全ての力を使い果たす美しい桜のように、暖かい決意を抱いていました。

 

しかし、この『RE_PRAY』の桜ちゃんは心からの笑顔で自由に舞っていました。まるで春風の中で鮮やかに咲き誇るかのように。明るい日差しの下に植え替えられた故郷仙台の結弦桜のように、紆余曲折を経て、もう必死に何かを掴み取る必要も何かを犠牲にする必要もなくなり、ようやく思うままに花を咲かせ、その美しさと暖かさを自由に発揮することができるようになったのです。

 

曲が終わり小さなステージに立った桜ちゃん。彼の背でピンク色の光がホログラムを描き、蝶の身体に新しい羽が生えました。

 

これが魂の自由を手に入れた羽生結弦です。繰り返す祈り。再スタートさせる人生。

北京オリンピック公式記録映画について 陸川監督のインタビュー

2023年5月の公開開始直後の記事ですが、当時訳したもの放置していました。日本での公開が決定したことを知ったので、この機会にアップさせていただきます。

陸川(ルー・チュアン)監督のインタビュー記事です。羽生さんに言及した部分は赤字にしています。

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5月19日に公開された映画『北京2022』で、人々は思いがけず馴染みのある名前を見つけた。それは陸川だ。陸川は言う。彼はこれを単なる記録映画だとは思っていない。作品の中にあるストーリー、情熱、命の洗礼を見てほしいと。「撮影中、私はまるで充電されるかのように毎日養分を吸収し、全身に行き渡らせました。」

 

『北京2022』を語る。「この映画は単なる記録映画ではない。」


公式記録映画の制作は、国際オリンピック委員会が開催国に継続を求め続けてきた伝統だ。これまでに公式記録映画の撮影に携わった芸術家や映画監督の中には著名な人物も数多くいる。北京で記録映画制作のバトンは陸川に渡された。

 

新たな要求と新たな目標。記録映画制作の経験がある陸川でさえ非常に大きなプレッシャーを感じた。陸川は『北京2022』に小さな目標を設定したと言う。それは『北京2022』を過去のオリンピックの記録映画よりももっと感情やストーリーのあるものにすること。「私たちは映画館で上映するのに相応しい作品にしたいと思っていました。力強いストーリーと感情を持った作品にしたいと。」

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陸川は2年半前に既に形になった脚本を用意していたと言う。ただし、その脚本は全く役に立たなかった。

 

「撮影開始初日に脚本は全て没になりました。」この話になった時、陸川はいささかの無力感を滲ませた。彼とそのチームはぬかりなく任務に取り組み、歴代のオリンピック記録映画を研究してきた。そして彼らには長年のキャリアがあったので、課題に対応して乗り越える準備もできていた。しかし撮影現場に足を踏み入れると、アクシデントが絶え間なく訪れたそうだ。「1日たりとも、1人たりとも、1つのストーリーたりとも脚本通りに進んではくれませんでした。」そのため撮影の難易度は非常に高くなったと陸川は包み隠さずに語った。「結局のところ、現実は自分の脚本通りに動いてくれません。自分が現実に合わせて動くしかないのです。」

 

『ボーンインチャイナ』の撮影で動物を追いかけた経験がある陸川は、自身はもう鍛えられてどんな事態にも動じない粋に達していると思っていた。しかし、オリンピック映画の撮影期間に起こった様々な出来事には落ち着いた対処などできなかった。陸川は語ってくれた。当初の撮影リストに入っていた人の多くに撮影やインタビューをきっぱりと断られたと。断られた時には何かが粉々に壊れる音が聞こえたと陸川は冗談めかして言う。受け入れ難くはあったがアスリートたちが拒否することは理解できた。「彼らが重きを置くのは競技です。ここに来るからには結果が求められます。彼らの本業は私の撮影に協力することではありませんから。」

 

オリンピック映画撮影の思い出を語る。「この旅は、私に養分をくれました。」

 

実際『北京2022』の制作は終始苦難に満ちていた。映像素材の量については陸川自身も正確に計算できていない。「ざっと見積もって映像素材は確実に1,000時間分はある筈です。」そして、その編集作業は更に厳しい試練であった。オリンピックが閉会してから98分板を発表するまでに作成したバージョンは全部で38種に上る。

 

準備から上演に至るまでの過程を思い起こし、自身はとてもラッキーだったと陸川は思っている。プロの映画監督としてのこれまでの経歴の中で陸川は物語の語り手となることには慣れていた。撮影はいつもアウトプットの連続だった。しかし『北京2022』の撮影時、彼は吸収を続け、毎日新鮮なエネルギーに溢れる養分を受け取っていた。「全ての過程において、自分が充電されているようだと感じました。」

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数々の輝かしいアスリートたち。陸川にとって彼らの物語と経験は生涯忘れられない記憶となった。この優秀なアスリートたちはいつもガードされた状態にあり、メディアに対峙することに長けていると陸川は言う。したがって、撮影にはある程度の時間が必要になる。アスリートたちが警戒を解くことを待ち、背後に見える真実を捉えるために。「私たちは彼らが本音を曝け出してくれるのを待つのです。メディア向けの業務上の社交辞令は編集の時に基本的に全てカットします。」

 

インタビューの中で、陸川は特に蘇翊鳴(訳注:北京オリンピック金メダリストであるスノーボード選手)羽生結弦について言及した。彼は蘇翊鳴には格別の品格を感じると言う。彼は内面にその種目の王者に相応しい強い原動力を持つ一方で、対戦相手には和やかに接する。「これこそ私がとても好きな真の闘いです。闘いにおいて必ず必要なものがあります。リスペクトです。それは文化の発展を具現するものです。」そして羽生結弦は陸川にまた別の角度からスポーツの美を感じさせた。陸川は言う。羽生結弦は自分をガードするのが非常に上手い人物だが、カメラのレンズは時に羽生結弦の感情が大きく動く瞬間を捉える。彼は何度も何度も自らを整え、何度も何度も新しい極限への闘いに挑む。「私は本当に本当に本当に羽生結弦が好きなんです。人類にはこのような人がなくてはなりません。科学がどれだけ進歩しようととも、文明がどれだけ発展しようとも、スポーツはスポーツです。非常に美しいものなのです。」

 

この映画の最終バージョンが確定してからも、陸川はまだ冬季オリンピックがくれた素晴らしい思い出を捨て去ることができないでいる。夥しい量の映像素材と物語。陸川はチームと共にまた整理と点検をすることになるかも知れない。彼にとってこの貴重な映像素材は宝物だ。「チームのメンバーたちと話しています。残しておこう、いつかこの中から物語を取り出すべき時が来るかもしれないからね、と。」

 

今後の計画を語る。「2023年、皆さんをあまり長くはお待たせしません。」

 

公式記録映画が完成した後も陸川は忙しい。引き続き杭州アジア競技大会の開会式の仕事に携わることになっているのだ。陸川は言う。杭州アジア競技大会への準備はほぼ整っている。彼のチームはとても優秀で、皆さんにこれまでにない体験をしてもらえる筈だと。1990年の北京アジア競技大会と2010年の広州アジア競技大会での中国のプレゼンテーション。陸川はそれらの過去の成功を物差しとして自分を前進させるよう常に鼓舞していると語る。「私たちのチームのメンバーはとても若いです。皆さんに違ったものを提供できると期待しています。」

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8年の時を経てやっと新しい作品が大スクリーンに登場するとなると、「監督」という立場は陸川と少し距離があるように見える。しかし陸川のスタジオにある、『749局』の現場で撮った陸川と王俊凱の撮影時のツーショットや、『ココシリ』の撮影現場でのショット、黒澤明やコッポラなどの映画ポスターなどを見ると、陸川の変わらぬ映画への愛に気づく。陸川はここ数年も毎年最低1本のペースで映画の脚本を書き続けていると言う。「書き上げた脚本もあれば途中までのものもあります。」数年間作品を世に出せていなかったことは映画人として不本意なことであり、撮影をしていなかったり撮影を進めることができなかったりする時には脚本を書くのが焦る気持ちを落ち着ける唯一の方法だと陸川は言う。「これからは皆さんをあまりお待たせしたくありません。」

 

実は『北京2022』が完成した後、陸川は既に新作『749局』の仕上げ作業に入っている。これは王俊凱、任敏らの若手俳優と共に作り上げてきた作品で、年末には完成するであろうとのこと。『749局』の若き俳優たちは『北京2022』の現場で彼に洗礼を浴びせたアスリートたちを思い出させる。共に仕事をした感想については詳しく述べないが、陸川は王俊凱や任敏の年代の若手俳優の成長に期待している。「どんな俳優もみんな若手時代から自分の色を持つ俳優に成長してゆきます。彼らと一緒に作品を作るのはとても楽しいことでした。」

百度に掲載されたコラム「数えきれない人に幸せをくれている羽生結弦は、自分のささやかな幸せさえ手にできないのか?」

あの声明を読んでから、この方がどれほど過酷な環境にいたのか、この方にどれほど常人の想像の域を越える苦しみがあったのか。それに想いを馳せては胸が締め付けられる思いです。

マスコミが諸悪の根源だという声もあります。

しかし、私はその所謂悪質なマスコミが報じたことに嬉々として群がっていたのではないか、彼が見せたくないプライベートの内幕を知りたがっていたのではないか、そんなことを考えて今、反省の気持ちに苛まれています。

 

そんな中、いつも百度に素敵なコラムを書いてくださる方の投稿があったので翻訳いたしました。悲しくて涙が出ましたが、羽生さんが前を向いて進む道をこれからも彼の幸せを祈りつつ、自分のできる形で応援し続けたいという思いがいっそう強くなりました。

 


「数えきれない人に幸せをくれている羽生結弦は、自分のささやかな幸せさえ手にできないのか?」

 

2019年12月23日、その年の全日本選手権が終わった後、私は「羽生結弦であることは何と大変なことか!」というコラムを書きました。

 

あの日彼は負けて、全日本王者のタイトルを「失い」ました。5週間のうちに3試合、カナダ、日本、イタリアを渡り歩き、疲れ果てて完全に調子を崩した彼はフリースケーティングで敗れました。

 

試合の後のインタビューではその背中に無力感が溢れていました。記者が「口実」を探すかのように「この5週間で3戦戦いました。更には今日は最後滑走でかなりのプレッシャーもあったと思いますが?」と質問しましたが、彼は「関係ないです。弱いです。」と答えました。

 

ほぼ同じような質問がまたありました「連戦のせいで疲れていたのでは?」羽生結弦の返答はやはりこうでした。

 

「全部言いわけに聞こえるから嫌ですね。喋りたくないというのが本音です。」

 

この時私は心から思いました。羽生結弦であることは何と疲れることか、何と大変なことか!

 

若くして名を成し美しい衣装を身に纏って送る順風満帆な人生。何千万人ものファンを擁し、人気の秘訣も把握している。こんなことをよく言われますが、二十数年のリンクでの生活で、十年以上もカメラに囲まれ、遮られ、「万人の注目」と「国の期待」という重荷を背負ってきた羽生結弦が普段向き合わねばならないのはどんなことでしょうか?

 

(訳注:次の段落に出てくる時代にははまだファンになっていませんでしたので、当時のエピソードをしっかりと把握できていません。思い込みで事実と異なる訳になっていたら申し訳ありません。)

若い頃は血気盛んで、先輩に追いつきたい一心で奮闘していました。しかしメディアには「生意気だ」と言われ、先輩のファンからは試合会場でタオルを投げつけられたりもしました。実際に先輩に勝って表彰台に立った時、テレビでは彼の場面はカットされていました。そして少年はどうして良いかわからず小さくなっていました。また、インフルエンザが完治していない体を引きずり、ほぼ1人で日本チームのオリンピック出場枠を賭けて闘った時、彼は舞台裏で緊張と自責の念で涙を流しました。その時涙を拭ってくれたのは振り付師でした。

 

その後体つきも次第に逞しくなり、勝利を重ね、オリンピックで金メダルを取り、連覇記録を作って意欲に溢れていた頃にまた事故や病気が重なりました…。彼が異国の試合会場で、腫れて変形した脚をスケート靴に押し込み「靴さえ履いてしまえば大丈夫。」と自分を鼓舞していた時、影でメディアがしていたことと言えば?それは高校時代の同級生とのゴシップの捏造…。その時羽生結弦が何歳だったと思いますか?20歳をやっと過ぎたところだったんです。

 

羽生結弦はかなり後になってこのことに触れ、一時は「死にたい」と思ったと語りました。

 

ですからお分かりでしょう。ファンたちが2023年の夏のFaOIのゲストアーティストの中に中島美嘉がいると知った時、どんな心配をしたか。それはコラボレーションで『僕が死のうと思ったのは』を演じるのではないかということでした。幸いその曲ではなく、この夏のコラボレーションは勇敢な「NANA」でした。

 

人は言います。羽生結弦は若くして得られる栄誉は全て得尽くしたと。競技の上ではフィギュアスケート男子シングルでただ1人スーパースラムを達成し、公式にGOATと呼ばれています。個人的なことで言えば日本史上最年少での国民栄誉賞…。あの仙台の凱旋パレードの様子は、目的を成就させて意気揚々と馬に乗って疾走しているかのようでした。

 

そんな羽生結弦はとても幸せそうですが、その幸せは血と汗を絞り尽くし、日常の小さな幸せを全て捨てることと引き換えに得た幸せです。

 

彼がとても多くの国や地域を試合で訪れたことは間違いありませんが、その国や地域の思い出といえば練習場と試合会場の周辺に限られるでしょう。十何歳かで海外試合に行った時に少しだけ観光ができた思い出が今も残っていると言います。それは、その後ナイアガラの滝の近くで十年近くもトレーニングをしていたというのに、一度も遊びに行ったことがないほどだからこそでしょう。

 

試合が終わった時にだけご褒美に缶コーラを飲みケーキを食べる日々も続いています。以前は試合が終わった時にだけ、今は大きなアイスショーが終わった時にだけ。

 

地元仙台の桜の美しさ、紅葉の美しさ、冬のイルミネーションの美しさも、彼は練習に行く道中でしか見たことがないかも知れません。他の人の邪魔にならないように、ほぼ毎日午前1時から4〜5時までの、完全に昼夜が逆転した練習時間です。2020年のコロナ禍で地元に帰ってから今現在まで、現在までずっとずっとそうしているのです。

 

これはスケートをするにあたって羽生結弦が自分に与える過酷な要求だと言えるでしょう。しかしスケート以外、いやスケートを含めて外界からの彼に対する過酷な要求は、彼が成功し、名を挙げ、連覇した後も減るどころか増える一方です。

 

彼は負けるわけにはいきませんでした。その「負けられない」という巨大なプレッシャーは彼をがんじがらめにする有形無形の大きな手枷足枷となりました。しかし同時に彼は勝ちたいと強く思うことも許されませんでした。2019年の世界選手権の後、苦しんで自分を責めながら引用した歌詞の一節「負けは死も同然」はすぐさまメディアで大袈裟に騒ぎ立てられました。「負けが死も同然と言うなら、負けた人は死ねと言うことか?」と。そして彼は怪我をしても簡単に欠場することはできませんでした。テレビ広告も準備されているのに欠場?と怪我の報告をしても疑われ…。

 

本当に大変です。本当に大変。しかしこのプレッシャーに二十年以上耐えて来た羽生結弦はまだ最大級の善意を持ち続けています。試合の結果が良くなかった時にはマスコミに、「『悔しい』って書かないでくださいね」と頼みましたが、さて、次の日の紙面には大きく「悔しい」という大見出しが掲載されました。「プロのアスリートになる」ことを決めた時には、その大切な思いを自分の口から世界に表明したいと思ったにも関わらず、メディアが聞きつけて「スクープ」として「羽生結弦が引退する」と報じてしまいました。

 

先に述べた通り、原因が彼自身にあったわけでさないミスやアクシデントがあって、皆が彼を「下げる」準備を整えている時にも、自分の問題をそのアクシデントのせいにしたことはありません。

 

2022年の北京オリンピックのあの穴の件のように。

 

神様は羽生結弦に生涯の心残りとなるような穴を与えました。しかし試合後のインタビューの、大きな落胆と失意と微妙な雰囲気の中で彼はメディアに言いました。「氷はとてもよかったです。今まで滑った中で北京のリンクの氷が一番最高でした。」

 

時に思います。この世界で一番得がたい資質である純粋さ、頑固さ、正しい振る舞い、優しさ、善意を羽生結弦は全て持っていると。雨風を乗り越え、無数の目に見えない「弾丸の雨」を潜り抜けて来た彼ですが、これらの資質を失うことはありませんでした。彼のスケート、彼の作り上げる芸術以上に彼の持つこの資質が人を惹きつけています。

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彼はこの純粋さと善意で数えきれない人を優しく温め、励ましてくれます。競技場のスタンドの上から下、テレビ画面の内から外、そして国内の災害にあった地域や世界の各地でどれほどの人が彼の演技と彼の思いのおかげで前を向いて生きたいと願い、渇望し、どれほどの人が励まされ希望を取り戻したことでしょう。

 

しかしこの光で自分自身を照らすことはできなかったようです。試合の際には一瞬の変化を捉えて一番効率的で合理的なジャンプの配置を計算することができる人であっても、競技を離れた自分の私生活でここまで付き纏われ、嫌がらせをされ、誹謗中傷され、脚色されることは計算できませんでした。1人の力で国家の栄誉を背負い「脚が使えなくなったとしても、どうなったとしても滑って勝たねならない。」と言ったこの人でも、愛した人の人生を支えることができず、こんな決別のような形でお互いを幸せにするしかありませんでした。

 

当事者でない者に、このやり方が最適だったのかどうかは分かりようがありません。世界中に本当にその人の気持ちを手に取るようにわかる人などいませんし、「もう少し頑張ればいいのに」などと言う人はみんな適当な話をしているだけであり、痛みも感じていないのです。

 

羽生結弦は小さい頃から練習や試合でカメラの前に立つことに慣れていて「王冠を望むならその重圧を受け入れねばならない」ことを知っている筈だと多くの人が言います。絶大な人気があるのだから注目度は高くなり、無数の双眼鏡で観察されることはわかっているはずだ、当然「こんなことには慣れている筈」だろうと。

 

でも本当にこれは「当然」のことなのでしょうか?試合の時もショーの時もいつもそうでした。羽生結弦が競技で敗れ、幕の片隅で背中を向けて泣いている姿はメディアのカメラに何度も捉えられました…。でもこれはあくまで彼がアスリートだからであり、日常に戻った時、私生活に戻った時にまでそんなに詮索されないとならないのでしょうか?

 

もちろん違います。一年中冷たい寒気が立ち込めるリンクの外に、邪魔されることも覗きこまれることもない暖かい家庭が欲しくない筈があるでしょうか。でも今、彼のこの小さな家庭は無くなりました。

 

結婚は2人の問題です。しかし離婚声明は羽生結弦が出したもの。いつもと同じく責め立てる声、罵る声、理解できないと言う声が彼一人を直撃しています。これも計画通りだったのでしょう。徹頭徹尾守り抜くということが。

 

羽生結弦であることはほんとに大変なことです。数え切れない人に幸せをくれる彼は、最も普通の幸せさえも手に入れることが「許されなかった」のです。

百度に掲載されたコラム「“世界で一番孤独な人”に伴侶ができた!結婚によって羽生結弦のスケートは変わるのか?」

当時の衝撃の中で、開くことすらできなかった抻面鸡架さんのコラム、やっと訳せました。

 

とは言っても現実を突きつけられるかなりストレートな文章、今読んでも私にはかなり辛いところがありました。

 

と同時に、この方の応援の熱量とスタンスは本当に素晴しいなあと。

いつもいつも何かあるごとに暖かく熱い応援の気持ちを綴っておられる筆者さん、これまでの思い入れもひとしおだったはず。

8月5日にすぐさまこの文章をアップされているところを見ても、一貫して本当にまっすぐな熱い思いで応援をされているのだなと感じます。

 

それぞれの人にそれぞれの感情があって、それには正しいも誤りもないとは思っています。

でも私も身勝手な思いを全て捨て去って、こんなまっすぐな思いで“正しい”応援をして行きたいなと心から思ったコラムでした。

 

読んで辛くなってしまう方もいらっしゃるかも知れませんので、ご無理のない範囲でご覧ください。

 

「“世界で一番孤独な人”に伴侶ができた!結婚によって羽生結弦のスケートは変わるのか?」

これまでスケートのためにとてもとても沢山の「自分の幸せ」を犠牲にしてきた羽生結弦が、とうとう自分のスケート以外の普通の人としての幸せを見つけたことを公式に表明しました。「結婚宣言」の発表は衝撃的でしたが、それ以上に沢山の祝福が寄せられました。ファンも一般の人も喜び、安堵したのです。

 

何と言っても、羽生結弦は28年の人生のうちの24年間をほぼ全てスケートのために生きてきたと言えましょう。スケートのために奮闘し、孤独に突き進んできたフィギュアスケート人生の旅。でこぼこ道を奔走し、挫折の中で涅槃の境地に達し、憂いを身に纏い、一面に散らばる苦痛の中にいた(訳注:ガルシアマルケス百年の孤独」の一節のようです。)羽生結弦にとって、普通の暖かい小さな家庭を持つことはとても価値があるものです。幸せや苦しみを共有し、分かち合える人が必要なのです。

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そうですね…孤独ですよ本当に。言ってみれば、自分の精神状態であったり、肉体であったり、そういうものにすごく左右してくるんですけどでもそれを遮断しないと自分が思ってるパフォーマンスができないんですよね。

 

もちろん、結婚自体もそうですし、このような形で結婚を宣言することは、羽生結弦にとって相当勇気のいることだった筈です。

 

多くの祝福以外に、やはり雑音もあります。また、羽生結弦のようなもの凄い人気を誇るスーパースター選手の28歳という年齢での「結婚」と突然の「結婚宣言」にはやはり「リスク」が伴います。

 

羽生結弦はもう少し結婚を後にできなかったのか、もしくはいっそ公表せずに結婚すればよかったのではないか?「まだ30歳にもなっていないのに、どうしてこんなに早く結婚を?」このような声は少なくありません。

 

もちろんそうすることもできたでしょう。でもそれは羽生結弦ではありません。普通の暖かく、何ということはない家庭生活。これは幼い頃から各地を転々として練習し、試合に出て、いつも外で闘ってきた羽生結弦がずっと望んできたものでした。

 

自分の小さな家庭を築くことは前から羽生結弦の人生設計の中にあったことです。みなさんよくご存知のように、羽生結弦は「牛兄さん(訳注:中国での羽生さんのニックネーム)の立てたフラグは絶対に倒れない」と言われてきました。それはオリンピックに2度出場すること、2個の金メダルを獲ること。そして家庭や結婚に対する願望もあって、彼は25、6歳で結婚したいと言っていました。羽生結弦には結婚への思いがずっとあったのです。

 

その後この「25、6歳で結婚するフラグ」は羽生結弦の唯一「倒れてしまったフラグ」だと言われていました。でも振り返ってみるとこのフラグが「倒れた」のは、夢中で突き進み、世界情勢が移り変わる中で4Aへの挑戦を続けるうちに、羽生結弦がもともとスケート人生の中で予定していたわけではなかった北京オリンピックを迎えることになったからです。

 

そして北京オリンピックが終わり、羽生結弦は自らの競技人生を終了させても良いと判断し、2022年7月にプロの選手としての人生をスタートさせました。その時から彼は計画に従って一歩一歩と自分の人生の次のステップへと進み始めていたのではないでしょうか。

 

でも、羽生結弦のその恋愛がいつから始まったのか結婚相手は誰なのかなどを詮索する必要はありません。

 

これまで重大な選択をしてきた時と同じく、羽生結弦は自分の今後の人生に、一番ダイレクトな方法で、一番勇気ある方法で向き合ってゆきます。

 

最適だと思うタイミングで、最も良いと思う方法で、自分の求める新しい生活を切り開いてゆくのです。

 

そう、彼は最も率直で大々的な方法で、まだ入籍手続きが正式に完了していない段階(受付中か審査中の状態)(訳注:これに関しての事実は不明だと思いますがそのまま訳しています。)で自ら結婚の報告をすることを選びました。時間は彼が最も大切にし、非常にこだわりを持っている11:11。ここにはお相手に対する敬意、そしてずっと応援してくれているファンへの敬意がこもっています。

 

しかし彼はそれと同時に最も控えめな方法で、できる限りお相手のプライバシーを守りました。この宣言の中で彼は「入籍」の二文字以外にはお相手の情報に一切触れていません。思うに、彼は自分の影響力をよく理解していて、ひとたび少し情報を出してしまえば自分の妻が好意的な目とそうでない目で全方位から注視され、要求されることをわかっているのしょう。できる限り控えめにしておかないと、お相手と自分のこれからの生活をしっかり守ることができないのです。

 

これらのことは「衝撃的」ではありましたが、非常に「羽生結弦」らしくもありました。これまで競技においても、スケート人生を追求するにあたっても、私生活の中でも、羽生結弦はずっと、「わがまま、頑固、負けず嫌い」の信念を貫いてきました。

 

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「スケーターとしては、まだこの“わがままな状態”でいきたいなって思います。自分の信念は、変えたくはないので。

スケートによって人間性って磨かれていくと思うんですよ。

それこそ“努力で”あったり、“勝ち負け”もいっぱいあるし、“悔しさ”もいっぱいあるし、“幸せ”もいっぱいある。

しっかりと“大人になったよ”って、胸張れるような人間になりたい。」

 

わがまま、頑固、負けず嫌い。これは「やりたい放題」とか「人の意見を聞き入れない」とかいうことではなく、力強く毅然とした思いに基づいて自分の信念を貫くという行動原則です。 

 

羽生結弦のこれまでの人生の選択を理解しているならば、彼の結婚宣言が決して「一時の衝動」ではないことがわかるでしょう。

 

私はいつも言っていますが、「可愛く優しい」面は、羽生結弦の外面の一つに過ぎません。目を細めてクマと戯れる「男の子」の外面の下の「こだわり、強さ、強靭さ」を持つ戦士。これこそが羽生結弦の本当の芯です。

 

もしも「頑固」さが足りなければ、どうして外野の声を払いのけて4Lo、4Lz、4Aに挑戦し、一つ一つと世界記録を打ち破り、フィギュアスケート全体の難度や構成を全く新しい境地にまで高めることができたでしょうか?

 

もしも「勇敢」さが足りなければ、どうして血に染まったリンクで、あるいは「足首がここでだめになる」危険を犯して、「跳ぶ」と叫べたでしょうか!

 

もしも「粘り強さ」が足りなければ、どうして既に功績を残して名を成し、ただ華やかさと賞賛を味わっていれば良い立場になったにも関わらず、更に4年間滑り続け、北京に来て壮大な「天と地と」を披露することができたでしょうか?

 

……

 

20歳の頃、彼は言いました。スケートによって人間性を磨き、正々堂々と胸を張れるような人間になりたい。

 

28歳の今、彼は正々堂々とした態度とやり方で、 胸を張り、側にいる自分の愛する人を守り、全く新しい生活に向かおうとしています。

 

ほら。まさに信念を貫く羽生結弦です。

 

結婚によって羽生結弦のスケートにはどんな変化があるでしょうか?羽生結弦とファンとの関係にどんな変化があるでしょうか?私は思います。まさに羽生結弦の結婚宣言に書かれている通り(そう、彼が入籍の二文字以外に書いていたのはひたすらスケート、スケートでした。)変わることはないばかりか、更に良くなるでしょう。

 

スケートについて言うと、更に美しく、更に素晴らしく、更に進化した羽生結弦のスケートが見られると私は確信しています。新しい生活で真に成熟した状態の中、彼は人生、物語、芸術、音楽への理解と思考を更に深めることができるでしょう。そして私たちは知っています。それらの思考は全て情感、情緒、技術のディテールとなり、羽生結弦のスケートに現れるでしょう。

 

実際、最近のもので言うと今年の夏のFaOIのプログラム「IF」で感じられた成熟した、内面から放たれる「ハイクラスな色気」。今振り返ればレベルアップした命の本質が既に現れていたのだと思います。

 

ファンについて言えば、羽生結弦の「応援してくれるファンのために滑りたい。」という気持ちは、今後も何ら変わらないでしょう。そして自分のスケートに、それを必要とする人の光となり希望となってほしいという真摯で誠実な気持ちも何も変わらないはずです。誠実さは過去も現在も羽生結弦が最も大切にしている芯であり、スケートを愛し、彼のスケートを愛する人たちを愛する気持ち、これらは全て彼の私生活と何ら相反するものではありません。

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これからも皆さんがもし必要としてくれるなら、必要とされるようなスケートを、常に全力を尽くしてやっていきたいと思いますし。また心が別に離れたとしても、ふと目に入った時に、やっぱり羽生結弦のスケートっていいなって、ほんのちょっと、1秒でもいいんで思ってもらえるような演技を、これからも頑張って続けていきたいと思います。

 

私は2019年のGPFの後に自分が言ったことを覚えています。「羽生結弦は偉大なる英雄。他の人に心を痛めてもらうことなど必要としていない。」でも実はそう言いつつも、私も他のファンと同じく、心の底から彼に「心を痛め」ていました。(訳注:2019GPFが終わった直後、微博では「羽生結弦に心を痛める」のタグで呟き始める人が急増。トレンド入りして話題になりました。)あの時私は、彼は世界一孤独な人だと思いました。もちろんこれを言ったのは私ではなく、彼に何度もインタビューをしてきた松岡修造さんです。私たちの思いは松岡修造さんと同じでした。彼はあの寂しく広々としたリンクで孤独な挑戦を続け、一人で闘ってきました。彼には世界中に何千人何万人のファンがいて、数千体ものプーさんが投げ込まれますが、試合の後にはしっかりと抱きしめてもらうことを必要としているように見えました。はい。もちろんかつてはコーチたちがハグをする職務を引き受けていました。でも結局のところコーチは家族ではありません。その時私は彼は「孤独な勇者」なのだと思いました。確かに孤独や怪我や病気、苦難は人間を鍛え、汗と涙は芸術を創り出します。でも、笑顔で暮らしたいと思わない人がいるでしょうか?一人で辛さも苦しみも全て背負わねばならない人などいるでしょうか?

 

スケートはこれからも羽生結弦にとって命と同じくらい大切な存在であり続ける筈です。でも、彼がその大切な存在を守るために寄り添ってくれる人がいます。深夜の仙台のリンクに孤独に一人で滑る音だけが響くことはもうなくなるでしょう。これは何と幸せなことでしょうか。

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大抵の人間が、いろんな人に囲まれて生きてるかもしれないんですけど、本当に一人ぼっちだって思う人だって絶対世の中にはいて、僕もその一人だし、「羽生結弦からスケート取ったらどうなる」みたいなことを、すごく考える人間でもあるし。なんかそういう中で…本当に独りぼっちって思っている人でも、「いや、ちゃんと味方いるよ」って..

百度に掲載されたコラム「羽生結弦は結婚したというのに、どうしてまだ彼を愛するのかって?」

いまだ自身の感情と闘っている方もいらっしゃると思います。私もその一人でして、元気になったり再びちょっと落ち込んだりの毎日です。

 

時々翻訳させていただいている、いつも素敵なコラムを書いてくださる中国のファンの方の文章を日本語訳させていただきました。

 

このような気持ちになれる方もなれない方も今はいらっしゃると思います。私もまだ腑に落ちたとかスッキリしたとまでは言えない状態ですが、この応援のスタンスと熱量って素敵だなと思ったのでご紹介します。

 

羽生結弦は結婚したというのに、どうしてまだ彼を愛するのかって?」

はい、今日はこの質問にお答えしましょう。シンプルに乱暴に。あらかじめ言っておきます。以下の文章は、私のこれまでのスタイルとは全く違うものになると思います。ご安心ください。あなたはアカウントを間違えたわけではありません。私は私です。ただ今日はいつもより直接的に思いを示したいと思うのです。

 

羽生結弦はアスリートだ。過去も現在も。

現在の「名声」や「評判」そしていわゆる「影響力」も全て彼が一試合一試合を闘って自分の力で作り上げたものであり、彼が24年間のスケート人生の中で茨の道を踏み越え、満身創痍になって作り上たものです。

 

彼はアスリートです。

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「芸能人とか、別にアイドルでも何でもないし、アスリートとしてかっこいいなと、アスリートとしていろんな希望とか夢を見せてもらえるなと思ってもらえる存在として、これからも努力していきたいと今は思っています」

羽生結弦フィギュアスケートというスポーツの領域で残した業績と確立した地位、彼がこの種目の発展のためにもたらした力、それは前人未到のものです。この後もそのような人物が現れないかどうかは今はわかりませんが、少なくとも次の冬季オリンピックまでに2人目が現れることはなさそうです。

 

私は羽生結弦が24年間のスケート人生の中で残した業績を詳しく数えようとは思いません。そんなことをすればこの文章の中でスペースを取りすぎてしまいますから。

 

私が言いたいのは、羽生結弦のこれまでの全ての業績は他の人には関係がないということです。彼はいつもファンがくれる応援と力に感謝し、それをとても大切にしています。例えば平昌オリンピックのフリー最後の3Lz。軸が完全に曲がってしまった状態にも関わらず踏みとどまれた「奇跡」の瞬間について、「皆さんの力が自分を支えてくれた!」と言いました。でも私たちは本当は知っています。あの時踏みとどまれたのは、彼が20年以上にわたり昼夜を分かたず続けてきた苦しい練習のおかげであり、彼の鋼のような強い意志のおかげであり、彼の才能のおかげであり、彼の黄金の膝と、彼が「ここで切れてしまっても構わないから跳ばねば」と思った奇跡の踝のおかげであることを。

 

そして彼はアスリートです。過去もそうでしたし、今もそうです。プロの選手に転向したとは言え、彼が自分に課す社会的役割や見せる姿は依然として自制され律せられた、自分への要求が極めて厳しいアスリートです。

 

彼の容姿は美しいですが、彼はアイドルではないし、アイドルになろうともしません。プロの選手になってからも羽生結弦は芸能界には足を踏み入れないことを明確にしています。自分は今後、映画やドラマの仕事は受けるつもりがないと。

 

羽生結弦フィギュアスケート界の最高水準であり続ける

羽生結弦がプロの選手となりフィギュアスケート競技を去って一年が経ちますが、私のこの思いは変わりません。総合的な技術レベルにおいても、フィギュアスケートの革新という面においても、羽生結弦は最高水準であり続けています。

 

注意してほしいのは、私がここで言っているのはフィギュアスケートの「総合的なレベル」であることです。それは音楽との調和、スケーティング、スピン、全体的なジャンプのレベル、全ての技の完成度、技のディテールや表現力、これら全てを一つにした「プログラム」の技術レベルです。私が見たところ、羽生結弦を超える選手はまだいません。現役時代に既に神の域に達していたスピンや、ジャンプに入る前の動作、ステップなどの細かい技術は、プロの選手になってから指先、髪の先まで更に念入りに磨かれ、「過去の」プログラムも再び現れたときにはどれも細部が変化しています。

 

そしてプロの選手になってからも彼のスケートは依然としてサプライズをくれています!そうです、まさにサプライズ!

 

クラシカルで優美なフィギュアスケートのプログラム。それは羽生結弦にとって「居心地のいい空間」です。しかし彼がプロに転向して採点やルールの縛りから解き放たれてからは、私たちはフィギュアスケートの領域だけではなく他の領域での模索と突破も見せてもらっています。


彼はより新しく、より様々なジャンルのダンスを学び、ダンスとスケートの深い融合を探求しています。そして照明技術とスケートの融合も。プロローグやGIFT、これらはいわばフィギュアスケートの大々的な実験でした。更に彼はフィギュアスケートと体操という種目を超えた融合にも挑戦しました。彼はこれまで蓄えてきた自分の技術と芸術を常に高め続けています。アイスショーの1つのプログラムに7本のジャンプを入れたり、アイスショーの狭いリンクで薄暗い照明の下で連続4回転ジャンプを跳んだり…。「不可能」なことも羽生結弦になら全て可能なのです。

 

もちろん、羽生結弦の試みが全ての人の美的感覚やフィギュアスケート鑑賞の概念に合うわけではないのでしょうが、数十年一日の如く同じようなスタイル、同じようなタイプ、更には同じような振り付けのプログラムを滑る選手たちに比べて、彼の転向後の演技とその姿は毎回私たちにサプライズをくれています!また、転向後は視界と心がいっそう開かれたこと、更には自分が思うような振り付けを十分取り入れられるようになったことで、羽生結弦のスケートには新たな境地と質的な飛躍が見られるようになりました。

 

しかも、これらの挑戦には今のところ限界が見えません。

 

羽生結弦はほぼ完璧に近い人だが生身の人間である。

私は彼が完璧だとは言いません。本当に完璧な人間などいないからです。しかし羽生結弦は私が知る中で最も完璧に近い人間の一人です。

 

多くの人が羽生結弦に「落ちた」時に言うのがこのフレーズです。「容姿に惹かれ、才能に落ち、人柄に着いてゆく。」前のニ項目は若干偏っているかも知れません。彼のスケートをもっと先に評価する人が沢山いますから。しかし最後の「人柄に着いてゆく。」これは間違いないでしょう。

 

純粋で、こだわりが強く、優しくて、暖かくて、謙虚で、前向き。

才気に溢れながらも控えめで穏やか。

 

幼い頃はやんちゃな天才少年で、柔らかい体と天賦の才能を武器に早くから頭角を現し、誰よりも得意気だった彼ですが、少年時代に故郷で人生を変えてしまうような大地震を経験しました。生まれ持った善良さに大震災がもたらした悲しみが加わり、純粋な少年に神性が生まれました。リンクでの究極の華やかさはまるで鋭利な刃物を鞘から抜くよう。リンクを下りた時は控えめで謙虚で、優しく柔らかく。故郷、慈善、公益、平等、優しさ…。幾つかのキーワードで羽生結弦を表現するとすれば、きっとこれらが中心になるでしょう。一番重要なのはこれらは全て、作られたものではなく特別な時だけに見られるものでもなく、彼の骨身に染みついたものだということです。

 

彼はテレビでいつも何台ものカメラに撮られ、日本のゴシップ雑誌にカナダの練習拠点まで追いかけられるような人です。日本のテレビ局が20年余りに渡り撮り溜めた羽生結弦の映像はおそらく部屋を埋め尽くすほどの量になっていると思われます。数えきれないハイビジョンカメラにいつも注目され、ほんの小さなことも大きく拡大して見られる状態で、実直さと誠実さを装うことなど不可能でしょう。

 

しかし羽生結弦の「神性」は決して人間性から切り離されてはいません。リンクが彼の「祭壇」だと言うならば、リンクを下りた彼はこの上なくリアルです。弱さと強さが共存し、繊細さと強さの裏に弱さと孤独があります。無邪気な甘い笑顔の裏には失意とやるせなさがあります。手の届かない天上の人のように見えますが、幼い頃からリンクで闘い続け、沢山の瑣末で小さな幸せを失って来た彼が一番憧れているのは、実は家族と座って談笑し、テレビを見るありふれた生活です。

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「ある意味で逃げ場がなかったこと。本当にたくさんの期待があって…僕もその期待に絶対応えたいんだっていう気持ちがあって、裏切りたくないなっていう気持があって、だからこそここまで頑張れたかなって思っています。」

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「先ほどの質問の、いつプロに転向しようかとか考えたかという話だと、……結果として、最終的な決断に至ったのは、北京オリンピックが終わってからです。北京オリンピックが終わって、帰ってきて、しばらくして。足首を治すための期間として、治すための期間というか、痛くて滑れなかったので。その期間の中でいろいろ考えた時に、もう別にここのステージにいつまでもいる必要はないかなという風に思って。よりうまくなりたいって、より強くなりたいと思って、決断しました。
実際に、最後に、先日アイスショーがあったんですけど、その時に滑らせていただいた時が、自分がアマチュアスケーターとして滑らせていただくのは、大会的に最後だったんですけども、その時にもまた改めて、より高いステージに立ちたいな、より一層、努力したことがちゃんと皆さんに伝わるステージにいきたいなという風に思いました」

 

いい演技ができた後は缶コーラを飲み、ケーキを食べるだけでも「幸せだ」と感じる普通の人間なのです。

 

ファンを大切にする気持ちはずっと変わらない

もっと大事なのは羽生結弦はこんなにも若くして、自分の努力によって、他の人が一生追いつけないような名誉と名声を既に手にしながらも、それに押し流されたりしないことです。彼には「寝ていても暮らせる」ような資本がいくらでもあります。他の人の「功績簿」がゴザだとしたら彼の「功績簿」は高級ベッドです。一生横たわり、蓄えで暮らしていくことができます。その上、彼にはお金を稼ぐ元手も無限にあります。自身の顔、スタイル、名声、更にはファンの愛を活かして、簡単に大金を稼げる「領域を越えたアイドル」になることも可能です。巨額の富を手にすることはいくらでもできるのです。でも彼はそんなことはしませんでした。

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アイスショーって華やかな舞台であったりとか、エンターテインメントみたいなイメージがあるんですけど、もっともっと僕はアスリートらしくいたいなと。もっともっと難しいことにチャレンジしたりとか、挑戦し続ける姿とか、戦い続ける姿だったりとか、そういったことをもっと皆さんに見ていただきたいなと、期待していただきたいなと思って、今回、このことばたちを選びました。」「そういう意味で、これからさらにうまくなっていけるんだなという自分への期待とわくわく感がいまある状態です。」

現役時代ファンを非常に大切にしていた羽生結弦、プロの選手になってからもアスリートとしての芯とファンを大切にする気持ちは変わっていません。

 

人の手を借りず、自分で撮影して編集して作り上げるYouTube動画は少し地味で、華やかな特殊効果や場面の切り替えもありません。でもその素朴さが彼の真心を十分に示しています。そしてプロになってからのアイスショーでは破格のスペック、破格の制作費で真心を燃やします。たとえ1分間の演技でも彼は決して適当に演じたりせず、最初から最後まで真剣に取り組みます。

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「これからも皆さんがもし必要としてくれるのであれば、常に全力を尽くしてやっていきたいと思いますし。また心が別に離れたとしても、何か、ふと目に入ったときにやっぱり羽生結弦のスケートって良いなって、ほんのちょっと1秒でもいいんで。思ってもらえるような演技をこれからも頑張って続けていきたいと思います。」

自分の立ち位置は「アスリート」だと常に明確にしている羽生結弦は、いつも誠実にスケートや自分の生活に向き合い、彼を愛し、応援する一人一人にスケートで恩返しをしています。過去もそうでしたし、今もそうですし、これからもきっと。

 

まとめると、つまりこれが私が羽生結弦と彼のスケートを愛する理由です。これらと彼が結婚しているかしていないか、何か関係があるでしょうか?

あなたと歩んできた一歩一歩、全てに価値がある

CITIZENさんの7月28日の微信(WeChat)の投稿です。

8/4以前の投稿で、しかも内容はコラボ時計に関するものですが、後半はCITIZENさん節全開で、今読んでも心に響く箇所があったので今更ながら日本語訳しました。

 

 

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「再び皆さんとお会いできたことを嬉しく感じています」

これは晴明と羽生結弦の時空を超えた再会

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【みなさんこんにちは】

 

そしてCITIZENが再び羽生結弦と手を携えて

素晴らしい作品と「生翕」の世界を融合させ 手首に花開かせる喜び

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【激しく同意】

 

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【とってもかわいそう】

 

Cちゃんは皆さんが今か今かと待ち望んでいることをよく知っています

でも嬉しい思いを分かち合いたい気持ちを抑えねば

サプライズを羽生結弦のプロ転向一周年の際に沢山お届けしたいから

 

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【良い子でじっと待つ】

 

Cちゃんと皆さんは羽生結弦のように

いい子で可愛く待ちます 待ち遠しいな待ち遠しいな

 

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【どんないいニュースなのか教えて〜】

とうとうハニュー星からの信号をキャッチ

ノイズが吹き飛ぶようにと念じて

最新の挨拶のメッセージを受け取りました

 

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【礼儀正しく微笑む】

 

本当は興奮が収まらないけれど

あくまで冷静を装い

「クール」なイメージを保たなければ。

 

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【ちょっと可愛いく】

 

リンクでは毅然とした眼差しで理想を追い求める王者

オフリンクでは無意識にみんなを萌えさせてしまう青年

こんな「ギャップ」がある羽生結弦だからこそ

いっそうみんなに愛される

 

万物は絶えず変わりゆく  それは輝かしい預言

心と呼吸は寄り添い合う   それは時がくれた返信

皆さんが羽生結弦と共に前へと進んできた道のりをCちゃんに惜しみなく分かち合ってくれてありがとう

私たちはそれぞれの道で努力を続けているが

辿り着く先は同じ

理想の境地を感じて 共に生きて共に呼吸する

 

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【どうぞよろしくお願いします】


全てのものは流れ行くが 思いだけは誠実だ

思いを寄せる先 あなたのことを誇らしく思う

Cちゃんは皆様の寛容さとご理解に感謝

「生翕」によって

愛と応援の思いはいっそう強くなる

無数の星たちが瞬く

その一つ一つが

眩い輝きを見届けるかけがえのない証人だ

 

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【頑張って】

 

心の声に導かれ 目にした光景に感情を揺さぶられる

針が刻んできた全ての時間

心に寄り添い共に進んできた

いっしょに歩んできた一歩一歩

その全てに価値がある

百度に掲載されたコラム「第二の羽生結弦は現れるか?」

羽生さんお誕生日に投稿された、いつもの方(抻面鸡架yuzuさん)の文章を翻訳させていただきました。熱い思いがこもっています。

羽生さんはみんなの光だという部分、特に共感しました。

 

今年も沢山の光をいただいた一年だったな。感謝です😭

 

还会出现第二个羽生结弦么?

タイトルの通りです。

 

2022年は正に「お別れ」の年です。今年に入ってからショーンホワイト、セリーナ、フェデラー、そして何といっても羽生結弦といったGOATたちが次々と競技場を去って行きました。2022年は「伝説が幕を下ろす」というフレーズの登場頻度が、これまでになく高くなっています。

 

「伝説が幕を下ろす」と、多くの人が「後継者」を探し始めます。次の○○○○になるのは誰か?それとも新しい「レジェンド」になるのは誰か?しかしその種の人々は根本的な問題——伝説の伝説たる所以は稀少なこととコピーできないことだということを忘れがちです。

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そこでそもそもの質問に立ち返ってみましょう。第二の羽生結弦が現れる可能性は?

 

私は即答できます。あり得ない。

 

先人はいないし後を追う者もいない。それが羽生結弦なのです。


長きに渡り保ち続けた競技成績

 

GOATになるためにまず必要とされるのは、安定して持続するキャリアです。一時的に咲いてすぐに散ってしまう花ではなく、すっと横切る流れ星でもなく、打ち上げられる衛星でもなく、常に輝き続ける恒星のように、持続的で安定したキャリアにおいて、超越した状態を保ち続ける必要があるのです。一言で言えば成績がものを言います。

 

羽生結弦の20年余りの競技生活(そうです。彼にとって選手生活というのは適切な言葉ではありません。彼の選手生活の第2幕が新しく開いたばかりなのですから。)の中で残した実績。この図は一見すると長過ぎるかも知れませんが、彼が収めた成績を的確に視覚的に表現しています。シーズンの大会全制覇、オリンピックを含む世界大会の制覇、スーパースラム達成、オリンピック2連覇、37枚の金メダル…これが羽生が書き記した歴史です。そしてこれらを全て達成してプロの選手に転向した時、羽生結弦はまだわずか27歳でした。

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フィギュアスケート繁栄の時代」を作った人

 

羽生結弦は一人で「フィギュアスケート繁栄の時代」を作ったと言っても過言ではありません。

 

確かに彼の前にも、そして彼の同期、後輩などからも、フィギュアスケートの各カテゴリーで沢山の巨星が生まれ続けています。「フィギュアスケートの王者」「フィギュアスケートの女王」「伝説のペア」「夢のカップル」「○○の第一人者」「天才少年」「天才少女」等等、これらの人々はみんな、努力によってフィギュアスケートというマイナー競技を多くの人に知らしめ、親しませてきました。

 

しかしこの種目を現在のような「衝撃的」な影響力があるものにしたのは間違いなく羽生結弦です。

 

もしも彼というきっかけがなかったら、あなたはカナダの小さな町ケロウナを知っていたでしょうか?

2019年の終わり頃に2019年フィギュアスケートチャレンジャーシリーズ大会の開催地となったカナダの小都市ケロウナの観光レポートによると、大会期間の3日間でブリティッシュコロンビア州には530万カナダドルの経済効果が生じ、そのうち450万カナダドルはケロウナで直接「消費」されたものだったと。2度のオリンピックを連覇した日本の羽生結弦結弦選手の出場が、3,500人以上の旅行客を引き寄せたのです。そのうち45%は初めてケロウナを訪れた人だったそうです。そしてこの大会だけでカナダスケート協会の収益は50万カナダドル増加したとのことです。

 

羽生結弦が出場するかどうかは、その大会の人気、興行収入、更にはテレビの視聴率、出版物の部数を決める重要な基準となっていました。2020年3月、日本のメディアが「羽生砂漠期の再現」の様子を報道しました。日本のフジテレビに長年にわたりフィギュアスケートの試合を放送し続けてきた伝統があったが故に起こった事態です。2020年のモントリオール世界選手権の延期が開会わずか4日前に発表(後日中止が決定)され、フジテレビが4日間連続で世界選手権を放送しようとしていたゴールデンタイムの枠が突然空いてしまったのです。コロナ禍で多くの人が自宅で自粛生活をしていて本来なら視聴率が急上昇するはずの時間帯です。突然世界選手権が無くなったことで4日間の空いた枠を埋めねばならなくなり、テレビ局の内部は混乱したと言います。それがいわゆる「羽生砂漠期の再現」です。似たような状況があったのは2016年でした。その年、羽生結弦がインフルエンザのため全日本選手権を欠場したことで、視聴率は落ち込みました。後日、ある番組の中で司会者がこぼしていました。あの時フジテレビの人たちの顔は青ざめていたと。

 

2022年7月に羽生結弦がプロ選手に転向したことで、同じような状況が新シーズンでも起こっています。2022-2023シーズンのグランプリシリーズの複数の会場の観客席の空席や、関連報道の少なさ、注目度の低さが、これまで3回のオリンピックを挟んでフィギュアスケートが世界規模で大きく発展し、人気を博したいわゆる「フィギュアスケート繁栄の時代」となっていた理由は一体何だったのかを物語っています。

 

創始者であり、創造者でもあり

 

限界を越えて、フィギュアスケートを越えて。

 

今は既に競技場に別れを告げ、プロ選手になったとは言え、羽生結弦の限界がどこにあるのかを誰もまだ知りません。競技生活の中で彼は絶えずチャレンジ精神を持ち続け、フィギュアスケートを進化させて来ました。

 

あなたは彼の限界はフィギュアスケートを「真・4回転時代」に導いたことだと思いましたか?しかし彼はすぐに「300点越え」を新たな指標とし、世界一になった後は66年振りに冬季オリンピックを連覇しました。これが羽生結弦が自ら書き記した歴史です。

 

自らこんなにも鮮やかな歴史を書き記し、既にフィギュアスケートの新時代を切り拓いた羽生結弦ですが、その後も彼はいっさい手を抜くことなく、新シーズンで新しいジャンプ——4Aへの挑戦を続けました。その時多くの人がレジェンドをレジェンドたらしめるものは何なのかを知りました。成功して名を挙げ、功績の上で胡座をかいていられる筈の時に、彼らは更に新しい挑戦を始めてまた新しい伝説を作るのです。

 

羽生結弦北京オリンピックでの挑戦は、多くの人に悲壮感と、血の涙を流すような苦しみを感じさせたかも知れません。苦難を賛美するつもりはありませんが、北京オリンピックでの苦悩は確実に羽生結弦の精神性を鍛え、彼の未来と彼のフィギュアスケートへの思いを更に深いものにさせたと私は思います。


北京オリンピックを終えて、心残りはあったものの幸せを手にした羽生結弦は、2022年に自らの新しいフィギュアスケート人生の扉を開きました。

 

そして私たちは目の当たりにしました。

 

想像を越えた羽生結弦を。

 

プロフィギュアスケート選手の羽生結弦は27歳の年の後半に、想像を越えた形でこれまでになかったワンマンでのアイスショー「プロローグ」を創り上げました。そして世界中が未だかつてない全く新しいフィギュアスケートのパフォーマンスの形に驚愕している時、皆さんご存知のように心を込めて創られた「GIFT」というプレゼントがまた届いたのです。 

 

私たちが最初「プロローグ」がどんなものなのか想像できなかったように、「GIFT」がどんなものになるのかは更に想像ができません。想像はつかないけれども、間違いなく素晴らしい、全く新しい「羽生結弦流のフィギュスケート」が誕生しようとしています。(以下、インタビューの中国語訳が引用されていますが、多分有料記事に載っていたものだと思うので割愛)

 

光を見る、光になる

 

スポーツにおいて成果を残すのは挑戦者。記録を残すのは優勝者。語り継がれるプログラムや見事な瞬間を残すのはスター選手。これら全てを残すのはGOAT。

 

そして、それらを超えて光となる者、それはレジェンドです。

 

羽生結弦は数え切れない人々の「光」になりました。

 

演技だけではありません。彼の言葉、彼の振る舞い、そして彼の存在そのものが沢山の人の希望の光であり、生きるための光です。私にはこの「光」が何なのかを説明するのが難しいのですが、きっと辛い時にしばし休息できる場所であったり、前に進もうと思えない時にあなたの背中をちょっと押してくれる力であったり、悩み苦しんで暗澹たる思いの時に笑顔を取り戻させてくれる瞬間なのだと思います。

 

そして私たちは知っています。その光がどんなに明るくて、どんなに長く灯り続けているかを。


これを読み終えて、あなたはまだ第二の羽生結弦が出てくる可能性があると思いますか?

 

もちろん思いませんよね。

 

伝説をコピーすることはできないだけでなく、彼はまだ進化し続けてていて「天井板」がどこにあるのかまだ見えないのですから。

 

ということで28歳になったレジェンド、お誕生日おめでとうございます。